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ミラーサイトを作ります [お知らせ]

このページのミラーサイトを作ります.

このサイトは多くの方々がアクセスしてくださり,なかなか捨てがたいのですが,写真が小さかったり,動画サイズや再生に制限があります.これらの制限のない通常のWebページとして,ミラーサイトを作り始めました.完成まではまだまだかかると思いますが,よければ訪れてみてください.写真は大きく,また一部記事の再編集もしています.もっとも,ミラーサイトですから,ほとんどの記事は同じ内容です.

以下のURLで構築中ですので,よければどうぞ.

https://www.xn--ovwy37eukb2g.jp/sl/index.html
お知らせでした.

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撮り鉄の終章/ [終章]

日本半周撮り鉄の旅に出かけたのが1970年3月でした.このあと,このブログでも紹介しました播但線など近場へ出かけてSLを撮り続けました.1971年2月の播但線C57三重連を撮影したころから,ファンの過熱ぶりに反比例するように熱が冷め始め,一方で私も受験生の仲間入り,撮影旅行から離れてしまいました.大学はSLのいないところへ進学しましたし,学生生活に追われているうちにSLはいなくなってしまいました.

1973年に友人と北海道などを旅しましたが,これはSLを追いかけたものではありません.ただ,今回は行くことができなかった宗谷本線で,あこがれのC55にやっと出会えました.

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▲324列車(手前)のC55 47と行き違う,C55牽引の普通列車.宗谷本線.駅名不明.1972.3.27.

0586.jpg◆C55 47.324列車.多分稚内駅.1972.3.27.

思い起こしてみれば,やはり四国のSL撮影旅行が一番思い出に残っていますし,気持ちも充実していました.また記録としての価値も他よりは高いものでしょうね.使っていたカメラは自分のものだけでなく,友人に借りても撮影していました.心優しい友人がいたからこそこれだけの記録がとれたのは間違いないことです.この場を借りて感謝したいと思います.

これで,私の所蔵するSLの写真はほぼ出し尽くしました.記録をいつの日か整理したいという願いを実現し,達成感もあります.また日を改めて,別のサブテーマをつくり,車両形式別に,データを高解像度写真とともにまとめてみたいと思っています.インターネットという巨大なデータベースの中で,ほんのささやかなデータとして役立てたらいいなと思います(少しずつ始めました.下記リンクをどうぞ).

SL形式別一覧/鉄道と旅 1970s

最後に,今日まで当ブログへお越しいただいた方々,ご支援どうもありがとうございました.

日本半周撮り鉄の旅の終わり/1970年3月29日 [大糸線]

奥羽本線津軽湯の沢からどうやって糸魚川まで来たか,記録が残されていません.きっとまっすぐ帰るより,もう一度大糸線に寄ってみたかったのでしょうね.自分のことなのに他人ごとのようですが,もう記憶はありません.写真も,小滝駅で171列車と172列車をねらい打ちで撮っているだけです.

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▲171列車,C56 94.小滝駅付近.

往きにここに寄ったときは,この171列車だけを撮って移動しましたが,この場所で上り坂になる172列車まで待ち,それも撮影しています.

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▲172列車,C56 94.小滝駅付近.

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▲172列車,C56 94.小滝駅付近.

これで,日本半周撮り鉄の旅は終わりました.どうやって自宅までたどり着いたかも記録はありません.(多分)疲れ切って帰宅したに違いありません.

奥羽本線碇ヶ関/1970年3月28日 [奥羽本線]

青函連絡船に乗り遅れて予定が大幅に狂いました.青森からは,10:05発の,C61の引く442列車に乗ることにしました.青森に着いたのが8:45でしたから,ちょうどよい乗り継ぎです.それまで,青森駅で働いているSLたちを撮りました.ホームに降りると,625列車が青森駅に入ってきました.ナメクジ型のD51 35の引く普通列車です.

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▲625列車,D51 35.青森駅.

先頭のD51 35はすぐに切り離されて移動,この客車編成の最後尾に連結されて,回送されていきました.このD51,後片付けまで全部やっているといった感じの運用です.

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▲同列車を引いて回送していくD51 35.

別のホームには9667の引く客車が止まっていました.キューロクが客車?,とちょっと心が動きましたが,編成をよく見ると,これは明らかに回送列車.キューロクも前部がゼブラカラーになっていました.

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▲9667が先頭に着いた客車編成.回送.青森駅.

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▲長い編成の客車を引いて出発.なかなか力強い.

キューロクは,この旅行で北の方に来てから各地で結構よく見かけます.まだまだ結構頑張っているのですね.もう一台49647がいました.

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▲49647.青森駅.

さて,私の乗る442列車は,この地域へ来た目的であるC61が牽引します.その442列車を引くC61 28が逆進で駅に入ってきました.

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▲逆進で駅に入ってくるC61 28.青森駅.

そのまま442列車の先頭には着かず,まず荷物車を1台連結し,ふたたび前進.ポイントで別の線に入ってから,442列車の先頭に連結されました.そして出発準備ができました.

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▲荷物車を引いてふたたび前進.C61 28.

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▲その後客車に連結されて,出発準備が整った.C61 28.442列車.

さて,10:05に,この442列車は青森駅を発車しました.もう記憶の彼方になってしまっていますが,相当に疲れていたのだと思います.このあたりから,乗車記録や撮影機録がかなり曖昧になっていますし,手記にもメモがほとんどありません.442列車でうとうとしていたのではないでしょうか.442列車に乗った感想は全く記録なしです.後はダイヤによって撮影場所を推理してお話を進めます.

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▲442列車の発車.弘前駅.C61 28.

442列車からは弘前駅で降りました.発車シーンを撮影して,すぐに後発の急行千秋2号で442列車を追いかけます.千秋2号は大鰐駅で442列車を追い越し,先に碇ヶ関に着きます.碇ヶ関ではC61 2が引く823列車が行き違いのために止まっていました.

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▲823列車,C61 2.碇ヶ関駅.C61 2は現在でも動態保存されている.

この823列車は千秋2号の後に来る442列車も待ちます.そこで,C61どうしの行き違いを撮ることができました.

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▲左が923列車,C61 2.右が442列車,C61 28.碇ヶ関駅.

もうほとんどここへ来た目的を達したかのようなC61の行き違いを撮影した後,津軽湯の沢の方へ線路に沿った国道を歩いていきました.ここは難所といわれるだけあって,すべての列車に補機がついています.前や後に補機がついて,機関車3両というのも珍しくありません.歩き始めてすぐ,696列車が通過しました.後に2機のD51を従えた,前後合わせて3連の貨物列車です.

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▲696列車,D51.後の方に補機の煙が見える.碇ヶ関-津軽湯の沢.

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▲696列車の後補機,D51 2機.碇ヶ関-津軽湯の沢.

国道を,次の津軽湯の沢まで歩くつもりでどんどん歩いていきました.ディーゼル牽引の急行「きたぐに」なども通り過ぎました.次のSL列車は,C61の引く444列車です.鉄橋のあるところを選び,列車を待ちました.

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▲444列車,C61 19.碇ヶ関-津軽湯の沢.

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▲444列車,C61 19.碇ヶ関-津軽湯の沢.

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▲444列車,C61 19.碇ヶ関-津軽湯の沢.

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▲444列車,後補機のD51 1095(ちょっと判別困難).碇ヶ関-津軽湯の沢.

次の列車は850列車ですが,これは前にDF50が付いているものでした.

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▲850列車,DF50+D51 762.碇ヶ関-津軽湯の沢.

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▲850列車,D51 762.碇ヶ関-津軽湯の沢.

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▲850列車,後補機のD51.碇ヶ関-津軽湯の沢.

次々に貨物列車が通ります.これにも後補機が2両ついていますが,前向きと後ろ向き.運用上こうなるのでしょうが,もうこうなると何でもありという感じです.

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▲855列車,D51.津軽湯の沢-碇ヶ関.

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▲855列車,後補機D51+D51は逆向きについている.津軽湯の沢-碇ヶ関.

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▲656列車.後補機のD51+D51.これはどちらも前向き.碇ヶ関-津軽湯の沢.

歩きながら撮影を続けてきましたが,津軽湯の沢駅に到着しました.ここで,551列車を撮影しました.これは逆向きの後補機がついています.

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▲551列車,D51 871.津軽湯の沢駅.

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▲551列車,逆向きの後補機D51 466.津軽湯の沢駅.

さて,日本半周撮り鉄の旅もいよいよ終わりに近づきました.予定では,ここが最後の撮影地で,この後東京へ出て,私のハンドルネームにも関連する,急行「銀河」で帰る予定でした.しかし,フィルムを見ると,もう一度大糸線小滝駅でC56を撮影しています.これについては記録が全く欠けています.どの列車に乗ってそちらへ向かったのかも分かりません.やはり相当に疲れがでていたのでしょうね.

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▲津軽湯の沢駅風景.

小樽築港機関区と急行ニセコ/1970年3月27日 [函館本線]

この旅行最後のユースホステル,ニセコユースホステルで宿泊し,いよいよ北海道も今日一日となりました.今日は,小樽築港機関区へ出かけ,そのあとニセコにも乗車して,急行ニセコとそれを引くC62に密着取材?します.まずはニセコ関連のC62運用表をもう一度見ておきましょう.

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▲急行ニセコ関連のC62運用表(再掲).

◆◆◆ 小樽築港機関区

小樽築港駅(機関区)は,現在,小樽から2駅札幌寄りにあります.倶知安6:12発の133列車で小樽築港まで行きました.小樽築港に着いたのは8:03.運用表で見ると,ニセコを引く2台のC62がいるはずです.C62 32は昨日の103列車で函館の方に行っているので,C62 2とC62 44がいるはずです(C62 3はこの旅行では全く見かけませんでした).

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▲C62 44,蒸気を吐いて迎えてくれた(と感じられた).

機関区に見学をお願いするのはもう慣れっこになりました.本当にこの当時は,機関区の責任者の方は見学を快く承諾してくれて,「気をつけてください」で許可をいただけました.機関区に入ってC62を探すと,朝日を背にしてC62 44が蒸気をいっぱい吐いて迎えてくれました.

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▲C62 2.

すぐ後にはC62 2もいて,どうやらこの2台が今日のニセコを引くようです.今日はどちらが本務機になるのでしょうか.

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▲C62 2,C62 44そろい踏み.今日はどちらが本務機になるのだろう.

しばらくすると両機が動き始め,本務機がC62 2であることが分かりました.今日大沼公園で104列車を撮れば,スワローエンゼルの引くニセコが撮影できるのに,...などと考えながら,ニセコ牽引の重連が形づくられている姿を「取材」しました.

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▲本務機のC62 2が前補機のC62 44の後に連結されようとしている.

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▲連結器を操作し,確実に連結されたことを確認する機関区の方(偶然こちらを向かれたので目を隠しています).

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▲急行ニセコを引く重連構成が完成した.

まずは,重連をつくるところから始まりました.本務機のC62 2が,前補機のC62 44の後からゆっくりと近づき,連結します.機関区の方は連結が確実になされたことをしっかりと確認します.これで重連構成が完成.次は水や石炭の補給に向かいます.蒸気をいっぱい吐いて移動開始です.

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▲給水と石炭の補充に向かう重連.

さて,給水の見学に行く前に,周りを見ると,C12がいました.北海道へ来て大型蒸気ばかり見ていましたから,ちっちゃいC12 6を見て,なんか少しホッとして緊張感がとけた感じです.ネットの記事を見ると,小樽築港機関区の扇形機関庫はもうなくなっているそうですので,転車台と機関庫を入れた写真を選んでみました.

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▲C12 6.小樽築港機関区.転車台と機関庫.

ニセコを引くC62たちは,少し向こうの方で,給水と点検を受けています.

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▲給水と点検を受けるC62重連.

近づいていって,その様子を見学させていただきました.入念に足回りを点検されています.

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▲点検作業を受けるC62重連.

すぐ反対側では,もう世代交代の足音がするかのように,ED76 511が止まっていました.そういえばこのC62が引くニセコもこのあと1年ほどで廃止になってしまいましたね.

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▲ED76 511.

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▲いよいよあとは出発時刻を待つばかりになったC62たち.

さて,いよいよ小樽築港を離れて,単機104列車として,小樽駅へ向かう時刻がやってきました.私も,機関区を離れ,小樽築港駅から出て行くこの単機104列車を撮影に行くことにしました.行く途中9600に出会いました.9644です.

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▲9644.小樽築港駅.

しばらく待っていますと,単機104列車が,小樽築港駅から小樽に向かって走る姿が確認できました.

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▲単機104列車.C62 44+C62 2.小樽築港駅.

単機104列車が通り過ぎた後,1191列車が小樽築港駅に入ってきましたので,パチリ.煙突の上縁が広がっていておもしろい形状をしています..

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▲1191列車,D51 659.小樽築港.

◆◆◆ ニセコ乗車

私は,小樽築港10:30発の122列車で小樽駅に移動しました.小樽駅では,ニセコの先頭に,C62重連が取り付けられようとしていました.ここからはしばらく乗り鉄です.

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▲104列車.小樽駅で先頭にC62重連が接続されようとしている.

急行ニセコは小樽駅を10:51定刻に発車しました.機関車のすぐ後は郵便車で,その息づかいを間近に感じることはできませんでした.ニセコは,小樽を出ると,余市,小沢(こざわ),倶知安と止まっていきます.

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▲余市駅で1196列車を追い越す104列車急行ニセコ.

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▲小沢駅で郵便物を積みおろしする駅員(局員?).

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▲倶知安駅.石炭をならしている.背後の山は羊蹄山.

今回の撮影予定では,有名な上目名へ行きたかったのですが,はっきり言って,雪の量にビビったのと,疲れていたのでしょうか,やはり日和ってしまったというのが本当のところでしょう.

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▲上目名を通過しているニセコ.この雪の壁,これにビビってしまった.

重連のニセコは長万部までです.長万部で前補機のC62 44が切り離されました.

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▲前補機のC62 44が切り離される.104列車.長万部.

予定ではこのままニセコに乗って八雲まで行き,そこで下りの103レニセコを撮影して,北海道を後にするつもりでしたが,蕨岱で撮影することに変更しました.

◆◆◆ 北海道ともお別れ

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▲臨時列車.蕨岱駅(だったと思う).少し日も傾いてきた.

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▲103列車,急行ニセコ,C62 44+C62 32.蕨岱駅.

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▲103列車,急行ニセコ,C62 44+C62 32.蕨岱駅.

これで北海道での撮影はすべて終わりました.幸い天候には恵まれ晴れの日が多かったです.しかし,当たり前のことですが,雪が多く積もっていて,一人で知らない山の中へ入っていくのが怖く,上目名のポイントへ行かなかったことを今は少し後悔しています.

さて,今晩はまた青函連絡船が宿になります.函館まで行って,青函連絡船に乗りますが,予定の0:45発2便に乗り遅れてしまって,函館4:55発の34便で渡ることになりました.これ,とても待ち時間が長く,また時刻も時刻で,とてもつらかったです.次の撮影予定地は奥羽本線の碇ヶ関,津軽湯の沢という,これまた難所を走るSLの撮影有名地を訪れます.今度のターゲットはC61です.

長万部機関区と目名-日本半周撮り鉄の旅/1970年3月26日 [函館本線]

大沼ユースホステルには,撮り鉄の仲間がたくさん泊まっていたように記憶しています.こんな季節に大沼公園を訪れるのは鉄道ファンくらいなものかもしれません.私は大沼ユースホステルを朝早く出て,大沼公園7:54発の201D列車,急行すずらん1号で一気の長万部まで移動しました.今日は長万部機関区の見学と,急行ニセコが重連で走る小樽-長万部間でニセコを撮影する予定です.

長万部には9:11に着きました.さっそく,D52の引く行き違いの貨物6766列車の発車を撮影しました.ローアングルにすると,D52の巨大さが引き立ちます.

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▲6766列車,D51235.長万部.

◆◆◆ 長万部機関区 その1

長万部の機関区には9600型と,D51,D52,C11がいました.このうち,C11は,171号機で,これは後に復活して,SL冬の湿原号などを引いた超有名機番です.ネットでC11 171と検索するとたくさんの記事が出てきます.

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▲9658,長万部機関区.機関区の人の出で立ちから,ロシアの機関車のように見える(笑).

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▲49698.長万部機関区.ヘッドライトが横にしかなく,何か違和感のあるスタイルである.

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▲D51 64.長万部機関区.いわゆるナメクジ型のD51.

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▲D52 468.長万部機関区.D52も北海道に来てすっかりなじみになった.

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▲C11 171.SL冬の湿原号を引いた,有名機番.

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▲D51の構内重連運転.

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▲D51 941.煙をいっぱい吐いている.

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▲D51 64.後方にもたくさんのSLが見える.

◆◆◆ 目名付近

さて,約1時間あまりの機関区見学の後,上り急行ニセコ104列車の撮影をするために,目名駅の方に移動することにしました.途中,熱郛駅で,124列車と行き違いました.

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▲124列車,D51 394.熱郛(ねっぷ)駅.

この時代,小樽築港機関区には,C62は4機いたと思います.機番は多分C62 2,C62 3,C62 32,C62 44です.このうちC62 44は昨日104列車を引いて函館の方に行っていますから,残り3機のうち2機が急行ニセコを引くことになります.スワローエンゼルのC62 2が前補機になることを祈りつつ,目名到着を待ちました.外は太陽が出てきました.上りのニセコ104列車は順光になります.目名に着いたのが11:40ころ.ニセコの通過までもうあまり間がありません.駅の近くで,撮影位置を探すことにしました.D51の引く1194列車が入線してきましたので,これを撮影しました.

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▲1194列車.D51 237.目名.

目名へ来て分かったことですが,雪が深く積もっていて,ほとんど遠景からの撮影が無理であることが分かりました.上の1194列車が通っている線路の横の積雪を見てください.1~2mはあって,ほとんど列車の高さの半分近くまでいっています.深い雪を除雪によって削り取って線路を確保しているのです.こういったことは,雪国でない関西の人間には想像がつかないことです.とにかく正面から撮影するしかないので,見晴らしのいい位置,結局は駅を出てすぐのところに陣取ることにしました.待っていると反対の方から,単機の1195列車がやってきました.これを見ると積雪の量がよりはっきりするでしょう.列車は雪の壁にはさまれて走行するのです.

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▲単1195レ.D51 659.目名.

急行ニセコの重連撮影地としては上目名という場所が有名でした.目名から上目名にかけて上り坂になりますので,力強い写真が撮れるからでしょう.上の1195列車は,上目名から下ってくるので,ほとんど煙を吐いていません.さて,1194レ,1195レと,これら2列車と,目名で行き違うのが急行ニセコ104列車です.

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▲目名駅で行き違う列車たち.
  左から1195レ-D51 659,1194レ-D51 237,104レ-C62 2+C62 32.

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▲目名駅を出る104レ急行ニセコ.C62 2+C62 32.

嬉しいことに,C62 2が,前補機として連結された重連構成でした.考えられる中で一番ラッキーな状態でした.前にも書きましたが,このC62 2を見に北海道まで来たのですから.

さて,C62 2が前補機になっているということは,長万部でこれが切り離され,下りの急行ニセコが来るまで長万部機関区で休むことになります.ゆっくりとC62 2を見学するにはちょうどよいチャンスです.予定通りではあったのですが,ふたたび,長万部機関区を目指して上目名14:00過ぎ発の122列車で長万部に戻りました.長万部到着は15:02です.

◆◆◆ 長万部機関区 その2 C62 2

いましたいました.C62 2.とにかくその姿をいろいろな角度から撮影しました.こんなに接近遭遇するのはこれが多分最初で最後ですから.

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▲C62 2.長万部機関区.

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▲スワローエンゼル.

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▲昭和31年(1956年)神戸の鷹取工場製造であることが分かる.

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▲C62 2,長万部機関区.

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▲C62 2.水を入れる順番を待つ.

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▲C62 2.ゆっくり休憩しているように見える.

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▲C62 2.長万部機関区.

さて,下り急行ニセコの到着が近づいてきました.前補機になるC62 2は,長万部駅の方へバックで回送されていきました.

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▲バックで後方に見える長万部駅へ運ばれていくC62 2.

やがて,103列車下り急行ニセコが到着し,C62 2が連結されて,汽笛一声,いや二声か,103列車が長万部を発車しました.少し離れたところから待ちかまえていましたが,いつもの悪い癖,これがメインの時にビビってしまい.信じられないことですが,ぶれた写真になってしまいました.再接近したときはうまく流し撮りになっていましたけど(トホホ).

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▲103列車,C62 2+C62 44.急行ニセコ.長万部.

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▲103列車,C62 2+C62 44.急行ニセコ.長万部.カメラブレさせてしまった.

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▲103列車,C62 2+C62 44.急行ニセコ.長万部.割合うまく流し撮りできた.

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▲103列車,C62 2+C62 44.急行ニセコ.長万部.行き過ぎる...

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▲103列車,C62 2+C62 44.急行ニセコ.長万部.行き過ぎる...

さて,今日はこれでおしまいです.目的のC62 2と一時を過ごせたので台満足です.きょうはこのあと,倶知安へ移動し,その名も「ニセコユースホステル」に宿泊します.

大沼公園-日本半周撮り鉄の旅/1970年3月25日 [函館本線]

青森から青函連絡船1便に乗って函館到着が4:20.十分な睡眠はとれませんでしたが,列車で寝るよりはゆっくり横になれたのでだいぶんましでした.函館からは,6:00発の121列車に乗り,大沼到着は6:55です.大沼に着いて少ししたとき,向かい側のホームに大沼駅で行き違う128列車が入ってきました.北海道に来て,早速C62に出会うことができました.

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▲128列車,C62 32.入線してくる気動車は623D.大沼駅.

まずは,この128列車,C62 32の発車シーンを撮影するところから開始です.

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▲128列車,C62 32.大沼駅発車.同じように発車を撮影するSLファンがいる.

北海道に来た理由はただ一つ,スワローエンゼルのついたC62の2号機を見たいためです.もちろんC62重連の急行ニセコを撮ることもありますが,神戸の鷹取工場で製造されたC62 2に会ってみたかった気持ちが強いです.

下の写真の623Dが待っているのは,次の126列車の到着です.ダイヤによると,126列車の方が128列車より先に大沼駅を出るのですが,ネガのコマでは順序が逆に写っています.私の列車番号の記録が違っているのかと何度も検討しましたが,C62の運用表(下に掲げています)を見ても128列車を引くのがC62になっており,ここに記述した列車番号で間違いないようです.これは未だに謎です.とりあえず,40年前の記録の通りの列車番号を記しておきます.

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▲126列車,D51 150.向かい側の気動車は623D.126列車の到着後発車する.

さて,いよいよ大沼駅を離れて,大沼国定公園内に撮影に入りますが,大沼公園の近くの函館本線は,路線が分かれていてとても複雑です.簡単に路線図を見ていただきましょう.

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▲大沼付近の函館本線路線図.分岐しているがすべて函館本線.列車によって走るところが違う.

函館から来た路線は七飯を出て二手に分かれます.このうち,東側(右側)は途中に駅がありません.列車ダイヤを見ると,ここは下り列車ばかりが通っています(夜間までは分かりませんが...).また多くは貨物列車と,渡島大野駅や仁山駅に止まらない急行や特急が通っています.一方西側の渡島大野-仁山を通る路線には上り下りとも走っています.普通列車の多くはこちらを通っているようです.そしてこれらが大沼駅で合流した後,ふたたび路線は駒ヶ岳の東側を通る路線と西側を通る路線に分かれます.それらは森駅の手前で合流し1本になります.

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▲列車番号不明.池田園-大沼.大沼の景色との色のコントラストに思わずシャッターを切った.

このように列車によって走るところが違うので,ここでの撮影には正確な列車ダイヤが必要で,それをしっかり見て動かないと撮り逃してしまいます.まずは190列車が池田園の方から大沼へやってきますので,駒ヶ岳がバックになるような位置へ移動しました.

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▲190列車.D51.機番不明.背景の山は駒ヶ岳.池田園ー大沼.
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▲190列車.D51.池田園ー大沼.

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▲上のカラー写真と同じ位置から200mmレンズで撮影.190列車.

函館本線には,C62以外にもD52が貨物列車に運用されています.力持ちのD52は長大な貨物列車を引いていますので,それをねらわない手はありません.少し後にこのD52の引く265列車が,七飯から東側の路線を通って大沼にやってきます.そこで,大沼駅-仁山間へ移動しました.途中,上りの264列車が通りましたので,大沼駅を通り過ぎたあたりで撮影しました.

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▲264列車.D51 695.大沼-仁山間.

上の写真は大沼駅に向かって撮ったものですが,線路は2本写っていて,列車は向かって右側を走っています.地図を見れば分かると思いますが,大沼から函館方面に出た路線はすぐに2つに分かれ,進行方向左に分かれた線路は,やがて右側に分かれた線路と交差して仁山の方に続きます.進行方向左ということは,逆の大沼駅に向かえば右側になりますから,この264列車は仁山の方に向かっていることになります.

大沼から西の方へ,併走している国道に沿って歩きながら265列車の撮影位置を探しました.望遠レンズでねらうとよさそうなところが見つかりましたので,265列車を待ちました.この位置は下り坂になるのか,滑るように貨物列車がやってきました.本当に長大な貨物列車です.

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▲265列車.D52 136.七飯-大沼.最後尾が写らないほど長い貨物列車である.

この写真にも線路が2本写っています.上の264列車とは逆向きにカメラを構えていますので,向かって右側の線路を走っているこの265列車は,七飯から東側をまわる線路を通ってきたことになります.

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▲265列車.D52 136.七飯-大沼.D52は本当に大きな機関車である.

次にやってくるのはやはり下り旅客229列車です.これは普通列車ですから仁山の方からやってきます.すぐ横を古い型の自動車が走っていますが,大沼から上りの線路沿いにはこの国道が走っておりアクセスは非常によかったです.

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▲229列車,D51 120.仁山-大沼.

次は上り貨物の252列車,そして少ししてから同じく上り貨物の278列車が通ります.278列車はD52が引いています.これらは上りですから,全部仁山の方を通ります.

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▲252列車,D51 340.大沼-仁山.七飯からの線路は向こう側で一段低くなっていて写っていません.

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▲278列車,D52 56.大沼-仁山.一段下に七飯へ通じる線路が見え,先の方でトンネルに入る.

今は大沼駅を上り方面に出て線路が2本平行に走っているところにいます.この場所は,分かれている函館本線が一つになっているところで,撮影の効率はいいのですが,何本かの列車を撮っていると同じような感じの写真ばかりになってしまいます.

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▲463列車.D52 202.七飯-大沼.

気がつくと,もう11時を回っていました.この後まだまだ続けてSL列車は通りますが,しばらくしたら急行ニセコが通過しますので,大沼公園の方に移動し,撮影場所を探すことにしました.写真のネガを見ると,このあと3時間ほど撮影していません.何本かのSL列車が走っているのですが,それを撮っていないということは,かなり苦労して場所を探したのだろうと思います.こういうところ記録に残していないのですね.次の写真は,6204D急行すずらん3号の写真をはさんで,大沼公園駅を14時過ぎに出る627D列車でした.

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▲627D列車,大沼公園-赤井川.手前が小沼.線路の向こう側に大沼が広がる.

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▲167列車,大沼公園-赤井川.D51.後方の山裾は横津岳のもの.

新しい撮影場所を決めて,いよいよ急行ニセコを待ちます.ニセコはC62重連で有名な急行列車ですが,このあたりを通るときはC62単機で引いています.いつのまにか何人かの鉄道ファンが,水位の下がった小沼の水際に入り込み,場所を取っています.627列車の写真では見られなかった人が,ニセコの写真には写り込んでいます.

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▲103列車,急行ニセコ.C62 32.大沼公園-赤井川.55mmレンズ.

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▲103列車,急行ニセコ.C62 32.大沼公園-赤井川.200mmレンズ.

呉線で安芸号を撮ったときもそうでしたが,どうも私は本命の列車になるとビビるのか,ピントが甘くなってしまいます.上の写真も望遠レンズの方がピントが合っていません.このことは明日も経験します(トホホ).ところで,こんなに遠いのに機番がC62 32だと分かるのは,機関車の運用表を持っているからです.ここで,運用表なるものを少し紹介しましょう.

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▲急行ニセコ関連の,小樽築港区C62運用表.103レ:下り急行ニセコ,104レ:上り急行ニセコ.

これを見ると,ニセコを引くC62は,小樽築港(機関区)を10:24に重連の状態で小樽駅へ向かって出発することが分かります.仕業番号41の機関車が重連の前に付いているC62です.一方仕業番号42のC62が本務機で,重連の状態では後側になります.これら重連のC62は小樽から上り急行ニセコ104レを引いて長万部まで行きます.ここで,前のC62が切り離されます.これはしばらく長万部にとどまって,下り急行ニセコを待ち,16:45にふたたび前部に連結されて重連で小樽に戻ります.小樽から小樽築港へは重連の状態のまま回送されます.

本務機の方は,長万部で切り離された後もニセコを引き函館まで行きます.その後は逆向きの単機回送で五稜郭操車場まで戻り,ここでしばらくの休憩です.夜中の2:50に,6263レの前補機となって森まで移動,そこから128レを引いて函館まで戻ります.この128列車こそこのページの一番最初に紹介した大沼駅のC62 32なのです.あと,たどっていけば,このC62が,同じ日の103列車急行ニセコを引いていることが分かります.ですから,上の写真はC62 32が引いているということになるのです.こういった機関車の運用表は,撮り鉄ファンには必須のアイテムです.

さて,下り車急行ニセコ103列車が大沼公園を通り過ぎたのは15:00ころで,しだいに日も傾いてきました.続いて上りの急行ニセコ104列車が通過します.今度は近くから普通にねらいました.

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▲104列車,急行ニセコ.C62 44.大沼公園-大沼.

場所をふたたび池田園の方に移動して,今日最後のSL列車をねらいます.次の124列車は池田園の方からやってきますので,急いで位置決めです.

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▲124列車,D51.池田園-大沼.

今日は青函連絡船に宿を取り,朝から動き回ってたいそう疲れました.今夜の宿泊地は大沼ユースホステルです.暖かい部屋でゆっくり休み,明日は長万部の方へ出かけます.

羽越線の笹川流れー日本半周撮り鉄の旅/1970年3月24日 [羽越線]

直江津の親戚の家でゆっくりとさせていただいた後,直江津発8:15の急行「きたぐに」,501列車に乗って次の目的地坂町の機関区を目指しました.坂町は羽越線にあり,9600型のSLがたくさんいたことで有名でした.坂町に着いたのは予定より2分遅れて9:46でした.着いたときにはかなりの雪が降っていました.

◆◆◆ 坂町機関区

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▲坂町機関区の9600型蒸気機関車,9634と49681.

坂町で途中下車し,早速機関区を見学させていただきました.このころはまだ,機関区の見学を割合に簡単に許可してもらえました.

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▲9634の後ろ姿.坂町機関区.

9600型蒸気機関車は吹田操車場にいたので見たことはあったのですが,ここのはデフレクタを付けていてちょっと感じが違いました.入れ換えだけに使っているのではないようです.

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▲9634,坂町機関区.

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▲49681,坂町機関区.

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▲49649.坂町機関区.

雪の降りしきる中を,9600型,通称キューロクが転車台に乗って向きを変えたり,忙しそうに動き回っていました.あまりに雪が激しく,写真もママなりませんでしたが,これも北国の風景と,撮影を続けました.事前の調べではキューロクが8機,D51が4機いるということでした.とりあえずいたキューロクは上の3機でした.

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▲転車台に乗る49681,坂町機関区.

キューロクの撮影を続けていると,D51の引く貨物852列車が機関区のすぐ横を通って,坂町駅を発車していきました.ナメクジ型といわれる煙突から蒸気室が長く延びたような敵をしています.機番は雪のため確認できませんでした.

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▲キューロクが見守る中,D51牽引の852列車が発車する.坂町機関区.

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▲激しい雪が降り,保線夫さんたちが鉄路を整備している.後方は852列車.D51.

坂町で途中下車して過ごすのはわずか54分間の予定.次の坂町10:38発927Dに乗るために,機関区の見学はすぐに終えました.次はいわゆる有名撮影地,今川信号所と笹川流れを走るSL,D51,C57を撮りに行きます.

◆◆◆ 桑川-今川信号所間,笹川流れ

笹川流れは,新潟県村上市にある,有名な海岸風景をさす名前です.山裾がそのまま海岸になっているようなところで,列車は山裾=海岸を走ります.奇岩が立ち並び,海は日本海側の荒々しさが感じられ,よく鉄道ファンの雑誌にも写真が掲載されていました.ただ,撮影ポイントの選択は難しいところで,特に雪が積もり,またまさに降り続いている状態では,土地勘の全くない私では手に追えないことは覚悟しなければなりませんでした.今川信号所には11:36に到着しました.到着したら,まずここで行き違う832列車がやってきました.

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▲私の乗ってきた927Dと行き違う832列車.C57 182.今川信号所.

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▲今川信号所を発車する832列車.C57 182.

次にやってくるSL列車は,貨物6872列車です.なんとか海岸と山を入れようと,今川信号所を離れ,歩いて海岸の方へ出ました.そして,雪の舞い散る中,6872列車を待ちました.

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▲6872列車,D51.機番不明.今川信号所-桑川.

次にやってくる列車は,荷物2047列車です.これもSLかと思いましたがDD51が引いていました.続いてD51牽引の555列車です.歩きながらいい場所を探しますが,雪が深く,高台へ出て俯瞰できる場所に行けません.

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▲笹川流れを走る555列車,D51 1099.今川信号付近(笹川流れ).

まあ,何とか海と奇岩を入れて撮りましたが,笹川流れの雰囲気はあるものの全然だめですね.このあと特急「いなほ」が通過しました.これおもしろいディーゼルカーで,先頭車が犬のお巡りさん的雰囲気があるものです.形式は忘れてしまいました(どなたかご存じありませんか).順序としてはこちらの方が555列車より先に通過するはずだったのですが,少し遅れたのでしょうか.

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▲2012D,特急「いなほ」.今川信号所-桑川.

海と列車を同時に入れるのは難しく,一見さんの私には本当に難しい場所です.眼前に広がる景色は素晴らしいのに残念です.少し高台に上がれる場所を見つけたので,とりあえず海の写真を一枚記念に撮っておきました.

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▲笹川流れ.この浜のすぐ横を列車が走っている.

次は旅客821列車がやってきます.この位置からは行きすぎる列車を追いかけることになりますが,ここで粘ってみることにしました.ほどなく,C57牽引の821列車が今川信号所に到着してきました.

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▲821列車,C57.今川信号所.

背景が奇岩ではなく集落になってしまいましたが,一応海は入っているし,この辺が精一杯の写真というところでした.この821列車は今川信号所で旅客834列車と行き違います.これも同じ場所でねらうことにしました.今度は今川信号所を発車してくる加速のシーンを正面から捉えることができます.

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▲834列車,D51 811.今川信号所.

歩き疲れたので,今川信号所に戻り,貨物550列車を駅で撮影しました.

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▲550列車,D51 1001.今川信号所.

本当に写真に切り取れないのがもどかしいのですが,ここは景色のきれいな場所です.今川信号所を出ていく932Dを一枚撮っておきました.

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▲932D,今川信号所.

さて,いよいよ移動の時間がやってきました.今川発14:54の837列車でさらに北に移動します.向かい側のホームには837列車と行き違う962列車がまず入ってきました.

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▲962列車,D51 932.今川信号所.

そして,私の乗る837列車もやってきました.

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▲左が先に入線した962列車,D51 932.右が私が乗る837列車,D51 324.

この837列車に乗って,温海まで移動し,そこで,急行しらゆきにのって青森まで行きます.この「しらゆき」という名前も自然現象名の急行列車ですね.途中鼠ヶ関では,883列車のD51 1005と私の乗った837列車のD51 724とでアベックのD51を撮影しました.

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▲左:D51 1005,883列車.右:D51 724,837列車.鼠ヶ関.

さて,次第にまわりも暗くなってきて,これからしばらく「しらゆき」にのって北の国を走ります.青森到着が22:33の予定,そこから青函連絡船に乗って北海道に渡ります.今晩は青函連絡船が宿になります.

大糸線と糸魚川機関区-日本半周撮り鉄の旅/1970年3月23日 [大糸線]

呉線を離れ,急行つくし2号が大阪駅に着いたのは22:01でした.予定では,ここから大阪発青森行急行「きたぐに」501列車に乗り継ぐ予定でした.「きたぐに」は22:14発で連絡としてはぴったりなのです.しかし均一周遊券の旅では指定席が使えず自由席に乗らねばなりません.北国のホームへ行くと,すでにスキー客を中心に列車は満員状態.これから夜行で寝ながら糸魚川へ行こうと考えていたので,この状態では体力が持たないと判断し,このすぐ後22:17に発車する普通525列車に乗ることにしました.当時は長距離の夜行の鈍行というのは結構あって,我々のような節約旅行にはとても助かりました.この普通列車の終着駅を覚えていないのですが,たしか新潟行きだったかな? 間違っているかもしれません.こちらもすでにかなり混んではいましたが,座ることはできました.翌朝,糸魚川に着いたのは8:06.「きたぐに」だったら5:35着だったので,むしろ普通列車でゆっくりできて正解だったかもしれません.ただ,「きたぐに」という名称はとても魅力があって,一度乗ってみたかったと思っています.たしかスハ33系の客車じゃなかったかな....

◆◆◆ 糸魚川機関区

大糸線にはC56形式のSLが走っています.C56というのはとても小さな,テンダ(炭水車)付きのSLです.ちょうどC12にテンダをつけたような感じで,1-C-0,つまり前の補助輪が1つ(1),動輪が3つ(C),後の補助輪が0(0)の車軸配置をしています.また,後方が見やすいように,テンダの両側を低くしていて独特の形をしている機関車で,ポニーという愛称で親しまれていました.

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▲C56 125.糸魚川機関区.

C56の引く大糸線の列車は数が少なかったと思います.事前の情報収集でも,どの列車が引いているのかよく分かりませんでした.現地で情報収集して撮影しようという予定です.今ならインターネットにこういった情報はあふれていると思いますが,当時は情報収集の手段がなかなかありませんでした.しかもまだ高校生ですから,情報にお金をかけるわけにもいきません.旅行の記録にもどうやって情報収集したのかは記されていません.もちろん記憶にもありません.ただ,糸魚川13:10発132列車で大糸線に入っていったことが書かれているので,現地で情報収集が成功したことは間違いありませんね.そこでそれまで午前中の空いた時間に,この糸魚川で機関区を見学したのでしょう.まるで人ごとのような書き方ですが,記憶も薄れた40年も前の自分は,もう半分他人みたいなものかもしれません.夜行で体力を消耗すると,こういった記録をつけるのも面倒になるのですね(笑).

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▲C56 115,C12 88.糸魚川機関区.

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▲糸魚川機関区の機関庫.EF81 32,C56 115,C12 88.

朝のうちは雪が舞っていました.梅の花が咲いている瀬戸内から一気に裏日本に来て,気持ちは大いに昂ぶりました.東海道沿線に住んでいた私には,SLもさることながら,交流・交直流の赤い電気機関車もとても珍しく映りました.上の写真のEF81というのは交直流両用の電気機関車で,直流区間と交流区間をまたがって走ることのできる電気機関車です.直流で電化すると,架線の電圧降下が大きいので,地上設備を多くつくらねばならず高くつくのですが,車両価格は安くなります.ですから東海道本線や山陽本線のように列車本数の多い地方は直流電化されることが多かったようです.交流電化はこの逆になります.

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▲交流専用の電気機関車EF70形式.EF70 70.パンタグラフを一つおろすのが交流機の特徴.

電気機関車の方にちょっと浮気をしてしまいました.さて,糸魚川機関区には,事前の情報によると,C58が3機,C12が2機,C56が4機,D51が17機,いると自身の旅行メモに記しています(情報源を忘れたので間違っているかもしれません).C58は見あたりませんでしたが,他はいました.まずC12は,69号機と88号機.

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▲C12 69.糸魚川機関区.

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▲C12 88.糸魚川機関区.

続いてD51は2機,178号機と 617号機,これ以外にいたようですが,写真には撮っていません.

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▲D51 178.糸魚川機関区.

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▲D51 617.糸魚川機関区.

C56は,上の125号機と,115号機がいました.

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▲左:C56 125,右:C56 115.糸魚川機関区.

糸魚川機関区は小さな機関区で,しばらくすると,見るものがなくなってきました.遠くの操車場でもとくにSLが活躍している様子もありません.

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▲C12 88.遠くに操車場が見える.

ふと横を見ると,特急「北越」が入線していました.いまこの481系(だったかな?)の特急は走っているのかな? 電車にあまり詳しくないのでよく分かりませんが,大阪発の雷鳥でよく使われていた車両だったと思います.話は少しそれますが,当時の国鉄では,特急の名称には自然現象を,急行の名称には地名を,といった原則的な命名基準のようなものがあったようで,この「北越」というのは,それにちょっと反していますね.私のハンドルネームである「銀河」と同じ,東京から神戸まで走っていた急行「銀河」というのも例外でした.

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▲特急北越.連写番号等は不明.糸魚川駅.

さて,いつのまにか雪も上がり,薄日が射してきました.昼からの大糸線の撮影には期待が持てそうです.

◆◆◆ 大糸線 (小滝,頚城大野)

「大糸線」という言い方は古い言い方で,Google地図を見ると今は「北アルプス線」という名称になっています.糸魚川-静岡構造線の上を走っている路線で,大断層帯が姫川によって浸食されてできた急峻な地形が特徴です.何とかこの地形を生かした撮影をしたいものです.事前に情報を得ていたと思いますが,迷うことなく,小滝駅へ行くことにしました.糸魚川発13:10の132D列車で,小滝到着13:35です.そこから歩いて少し糸魚川の方へ戻り,姫川の鉄橋を渡る171列車をねらうことにしました.

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▲隆起し,姫川に浸食されてできた急峻な山々.小滝付近.

待っていると,黄色い色をした単機の車両がやってきました.ロータリー式の除雪車です.形式は分かりませんが,都会住まいの人間には,こういった車両もとても珍しく,出会ったことを嬉しく思うんですね.おもわずパチリ.

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▲ロータリー式の除雪車.大糸線小滝付近.

ほどなく遠くから貨物171列車の音が聞こえてきました.緊張の一瞬です.日射しも出てきており,この時期としてはこれ以上望めない好条件です.また下りの列車もこれ1本だけで撮り直しはできません.ここではフィルム1本を使い切る覚悟で,連続撮影しました.もちろんネオパンF!.

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▲鉄橋を渡り近づいてくる171列車.C56 94.

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▲171列車.大糸線小滝付近.C56 94.

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▲171列車.大糸線小滝付近.C56 94.本当に小さくかわいらしいSLである.

上の列車は鉄橋を渡った後すぐにトンネルに入りますが,この場所は遠望がきき,トンネルから出た列車をさらに追い続けることができます.こういったところはビデオで撮影すると素晴らしいのですけどね...

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▲171列車.トンネルを出るとすぐにもう一度鉄橋を渡り,洞門に入る.

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▲171列車.糸魚川-静岡構造線の急峻な地形がよく分かる.

たった1本の下り列車でしたが,実は上りがもう1本あるのです.これは別の場所でねらうことにして,次の移動のこともあったので頚城大野駅に移動しました.小滝駅14:48発129D列車で,頚城大野着15:03です.頚城大野は糸魚川から2つ目の駅です.

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▲頚城大野駅に止まる172列車.C56 94.後の方の貨車で荷物を下ろしている.

頚城大野駅で撮影する貨物172列車は,C56の何号機が引いているのか楽しみでしたが,先ほど小滝で出会った,C56 94が引いていました.糸魚川ですぐに折り返してきたのでしょうね.

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▲頚城大野駅を発車する172列車.C56 94.もくもくと煙を焚いている.

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▲頚城大野駅を発車する172列車.C56 94.

たった一往復の列車でしたが,天候にも恵まれ,ずっと出会いたかったC56の姿を見ることができ,満足して大糸線の撮影を終えました.最後にカラー写真を一枚.もう変色して色調整が大変でした(涙).

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▲171列車.C56 94.大糸線小滝駅付近.

当時,C56の有名撮影地は小海線でした.日本最高標高の野辺山駅周辺の高原を通るC56が,よく鉄道ファンの雑誌に掲載されていました.私もこの旅行でそれを検討しましたが,道南均一周遊券の往復経路から大きくずれてしまうことや,まだ雪が残っている時期でもあり,マイナーな大糸線にしました.でも今ネットで大糸線のC56を検索してもあまり写真は出てきません.ある意味,多くの人が訪れていなかったという意味ではここでよかったかなと,今思っています.

さてこの後は,頸城大野16:18発の131D列車で糸魚川に戻り,そこから8分の連絡で241列車に乗り直江津まで行く予定でしたが,この131D列車が10分遅れ...,知らない土地での一人旅では,予定が狂うととても不安になります.でもそこは昔のこと(今でもそうですね),ちゃんと糸魚川で241列車は待っていてくれました.直江津到着が17:20.直江津には親戚がいるので,ここで今夜は宿泊です.ゆっくりお風呂に入って,おいしい夕食をいただいて,お布団で体を伸ばして寝ることができます.呉線から今日までの疲れを取って,明日は羽越線坂町から今川の方へ出かけます.

呉線(3) 広島付近と糸崎機関区/1970年3月22日 [呉線]

広島ユースホステルで朝をむかえました.あいにくの曇天,午後からは雨になりそうです.今日はネオパンFは使わず,ネオパンSSを使うことにしました.この天気ではASA100でも厳しいような気がします.朝食をとってから広島駅に行きました.

実は昨日の安芸号,少しピントが甘かったのです.今ならデジカメですから,昨日の撮影状況をすぐに確認して,次の日の計画を修正することができます.でも,この時代は銀塩なので,うまく撮れていることを期待して,予定にしたがって行動しました.今日は,呉線は安登付近と忠海付近でねらうことにし,あとは,広島から海田市間の山陽本線,そして糸崎機関区を訪れることにしています.

◆◆◆ 山陽本線 (広島-海田市)

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▲D51 1059.広島駅.呉線923列車?.923レはD51が引いていることが多いらしい.

今になって思うと,こういったところで撮影したSLというのが貴重なものに思えます.景色のよい有名撮影地で撮るのはもちろん気持ちがいいものですが,時間が経ってSLが消えてしまうと,ごみごみした街中を走るSLになんとなく生活臭のようなものを感じてしまうのです.これはこれでまたSLが生きていた証のような気がします.

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▲927列車,C62 16.向洋駅.

まずは,広島駅7:44発の山陽本線の電車328Mに乗って,向洋駅へ行きました.旅行メモによると駅弁を200円で買ったと記しています.物価が安かったですね.昨日小屋浦付近で撮った広発の普通列車が,次々と広島めがけてやってきています.上は向洋駅を発車するC62 16牽引の927列車.

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▲貨物676列車,D51 262.向洋駅.入線を駅長が見守っている.

しばらくすると,隣のホームに呉線の貨物676列車が入線してきました.駅長さんでしょうか,停止位置を誘導しています.私のいるところは山陽本線のホームなので,すぐに渡って呉線のホームへ行きました.この次は呉線のSL牽引624列車に乗って安登の方まで向かいます.ちょうどこの貨物列車の横に,624列車が入線してきました.

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▲貨物676列車D51 262と旅客624列車C59 162.向洋駅.

機関士さんにお願いして写真を撮らせていただきました.これは40年前の写真ですから,機関士さんもご存命であればきっと70から80歳くらいでしょう.何かのご縁があればこの写真を差し上げてもいいくらいです.本当にこのころの機関士さんたちは親切で,鉄道ファンの「少年」にはいろいろとポーズをとったりしてサービスしてくださいました.

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▲624列車,C59 162.3人の機関士さんたち.向洋駅.許可を得て撮っています.

さて,時間もあわただしく,この列車に乗車しました.向洋発8:29です.朝の広発のSL普通列車群は上の927列車で終わりですので,次は糸崎からの621列車が来るはずです.ダイヤによると,向洋-海田市間ですれ違うはず.案の定やってきました.

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▲621列車,C62 37.海田市-向洋.624列車内から撮影.

◆◆◆ 呉線 (安登付近)

さて,しばらくはSL列車の旅を楽しみます.C59 162の引く列車はどんな感じだったかはもう忘れてしまいました.古い客車の1両目に乗って,機関車の息づかいをききながら,安登駅までの約1時間20分の旅です.私は「撮り鉄」ではありましたが,「乗り鉄」でもありましたので,移動を味わうこういう旅がたまらなく好きでした.今は窓を開けて走る古い客車もないし,なんか情緒がありません.だいたい歳を取るとこういったボヤキが多くなります(笑).

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▲624列車,C59 162.安登駅.

安登駅に着くと,列車から降りるやいなや,発車のシーンを撮影するために向かいのホームへ渡りました.このころは線路を横断して渡るのが公式ルートで,便利でした.同じ列車に乗ってきた鉄道ファンたちが発車シーンを撮影しています.

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▲624列車,C59 162.安登駅.

この624列車は一足先に糸崎へ向かって発車していきました.安登周辺では,下りの急行安芸をねらうことにしています.今日は下りということもあって,安芸川尻の方へは行かず,安浦の方に移動して撮影地を探しました.でもいいところはありません.いつもそうなのですが,安芸をねらうときは凝りすぎて失敗します.

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▲37列車急行安芸.C62 15.安浦-安登.

普通列車の客車と違って,安芸はオロネ10などの寝台客車を引いていますから,ちょっと違った感じです.C62も少し鼻が高くなっているようにも感じます(機関車トーマスの見過ぎ!).機関車列車の写真は,向かってくるのもいいのですが,去っていくシーンに何か郷愁を感じます.さて,こちらも糸崎へ移動します.安登12:09の640D列車に乗り込みました.途中須波で675列車と行き違いました.いつのまにか雨が降り始めていました.

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▲貨物を待つ640D列車と675列車.D51 755.

◆◆◆ 山陽本線 (糸崎駅と糸崎機関区)

糸崎では先に到着したC59 162がいました.糸崎駅では昼食をとりましたが,これまた「そば」が60円と記録しています.いや,本当に食費が安かったですね.ちなみにこのあと忠海でパンを買ったのですが,これが2個で40円でした.

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▲C59 162.糸崎駅.一度切り離されて,もう一度客車の先頭に付け替えられた.

糸崎の操車場ではC50が働いています.C50という形式のSLにはそうめったにお目にかかれませんので,ここでじっくりとC50の入れ換え作業を見学しました.ゼブラカラーに塗られて,入れ換え専用機になってしまっていますが,懸命に働いていました.

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▲C50 88の入れ換え作業.糸崎操車場.

続いて,糸崎の機関区を見学しました.C62やC59はほとんど出払っていて,C59 161が1台いただけでした.糸崎区に所属する機関車は多いと思いますが,現役で活躍しているため出払ってしまっているのでしょう.あとはD51とC50.1台プレートをはずされたC62 41がいました.

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▲糸崎機関区.D51などが止まっている.

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D51 458,D51 594.糸崎機関区.

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▲C50 66とC62 41.

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▲C59 161.糸崎機関区.

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▲プレート.

◆◆◆ ふたたび呉線へ (忠海付近)

さて,時刻も次第に遅くなってき,雨も降って暗くなっています.最後にもう一度急行安芸を撮るために,呉線に戻ることにしました.糸崎14:55発の645D列車で移動しました.途中の須波駅でD51 818の引く626列車と行き違いました.

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▲645Dと626列車.D51 818.須波駅.

忠海には15:23に着きました.付近で海を入れて撮影します.しかし雨は本降り,空も暗く,さらに間が悪いことに,機関区でフィルムをネオパンFに入れ換えてしまったのです.こんな天気でASA32では,撮った写真はすべてぶれたり流れたりしていました.急行安芸は結局満足行く場所でベストショットを決めることができませんでした.まあ,最後に記念として流れた安芸を掲載しておきます.これもネオパンFの功「罪」ですね.

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▲本降りの中を走る38列車急行安芸.C62 15.忠海-安芸幸崎.

◆◆◆ さらに旅行は続く

さて,この呉線の旅は,今回の旅行の序章に過ぎません.これから大阪へ戻って,急行「きたぐに」で一気に裏日本を目指します.とりあえず行程を記しますと,忠海17:35発646Dで三原へ17:57着,そこから18:07発202M急行つくし2号で大阪到着22:01でした.
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