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吹田の操車場と機関区/1968年10月27日,他 [東海道本線]

私がそもそもSLに興味を持ったのは,吹田の操車場でのSLの姿を見たときではなかったかと思います.それまでは,普通の電車や電気機関車を追いかけていたのですが,友人にSL好きがいて,その友人とともに,吹田第一機関区を「公式」に見学したのが転機になったように思います.今日はそのときの記録を紹介します.

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▲吹田第一機関区の機関庫.D51が後を見せて休んでいる.

そのころ,東海道線の吹田~千里丘駅を訪れると,向かいに広がる操車場で,たくさんのSLが入れ換え作業をやっていました.9600型,D51,D52,時にC58が混じることもあったかと思います.私がまだSLに興味がなかった頃,吹田駅で撮ったSL写真が下のものです.

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▲19684.吹田操車場.1967.10.10.
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▲D51 52.下の51号機と同じく,砂箱や蒸気ドームが長く一体になったタイプ.1967.10.10.
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▲D52 142.吹田操車場.1967.10.10.
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▲D51.吹田操車場,千里丘駅.駅で写真を撮っている人がいる.1967.10.10.
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▲D51 51.吹田操車場.貨物の入れ換えをしている.1968.10.27.

さて,当日午後に吹田第一機関区を訪問しました.かなり自由に見学させてくれたように思います.最初は機関庫の横に止まっているC11 360を見ました.この運転台に載せてもいました.SL運転台からの景色を初めて体験しました.

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▲C11 360.完全に火が落とされている.
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▲C11 360の運転台から見た景色.かなり視界は悪いような気がする.

機関庫の前にある転車台は,機関車が来るたびに大きな音を立てて転回します.D52がやってきました.D51よりひとまわり大きく,私は吹田で始めてみたのではなかったかと思います.写真のD52 142は,前年の1967年10月10日に吹田に来たときにもヤードで走っていたのを見ていますから,結構以前からいたのかもしれません.

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▲D52 142.転車台に乗るD52.D52にはまだデフレクタが付いている.
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▲D52とD51が正面を向き合って連結されようとしている.

操車場のSLたちの多くはデフレクタが取り外されています.入れ換え作業には邪魔になるからかもしれません.上のD52はそれがはずされていませんので,ちょっと違った使われ方がされていたのかもしれません.

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▲D51 116.デフレクタを取り外された,入れ換え専用機.
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▲D51 319.これもデフレクタがない.

操車場は,働き場を失ったSLたちの最後の活躍の場です.全国各地から,最後のご奉公をするために集められてきたのでしょう.門鉄デフをつけた,おそらく九州から来たものなども混じっています.

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▲D52 28とD51 499.D51は九州から来たのだろうか.門鉄デフが付いている.1968.9.23.
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▲D51 51.型番と機番が同じ.1968.9.23.
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▲砂箱がかまぼこ形になっている1000番台のD51.吹田操車場.D51 1014.

さて,機関庫見学はこれくらいにして,次は少しヤードの方に出てみることにしました.といっても入れ換え作業をしているところへは入れません.その横の機関車が単独で走っているような所です.ここではD51が水や石炭の補給をしていたり,D52が蒸気を勢いよく吐いて,走る調子を見ているような動きをしていました.

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▲D51 754.給水している(た)のだろうか.
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▲勢いよく蒸気を吐いて試走するD52 142.
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▲D51 863.デフレクタが取り外され,係員が添乗するときにつかむ手すりが取り付けられている.1968.9.23.

さて,SLを見に来たのではありますが,まだまだこのころは電機も好きで,当時最新型だったEF66がいたので,運転台に乗せてもらいました.

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▲EF66 9.
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▲EF66 9の運転席.

隣には対照的にEF14が止まっていました.前後にデッキのある電気機関車で,この当時はEF15が普通に東海道本線を走っていました.EF14はここで始めて見ました.

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▲EF14 1.

2時間ほどの滞在ではなかったかと思います.午後の遅い時刻に訪れたので,帰るころには日が少し西に傾いていました.日が傾く空に影を浮かび上がらせるSLたちを後にして,見学会を終わりました.このときからSLというものに少し興味を持ちだし,翌年,四国への遠征旅行の動機づけになったような気がします.

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▲SLに名残を惜しみながら,吹田第一機関区を後にした.

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コメント 2

AZM

お久しぶりです。コンテンツが増えて、ますます充実してきましたね。
伯備線は、迫力ある画像を楽しませていただきました。
ここで取り上げておられる吹田区のD51・D52は、デフを外した入れ換え専用機以外は、城東貨物線に運用されていました。特にD52は西日本最後の貴重な車両でした。またD51499は、いわゆる「門鉄デフ」ですが、九州のカマではなく、おそらく当時は福知山区配置の山陰線用だったはずです。デフは、米子鉄道管理局の後藤工場で改造された「後藤式」切り取りデフです。
by AZM (2010-03-07 01:11) 

銀河鉄道

お越しいただきありがとうございます.
また詳しい情報をありがとうございます.

D52はやはり城東貨物線を走っていたのですね.そうではないかと予想だけはしていたのですが.城東貨物線をSLが走っていたのはうっすら覚えていました.
デフレクタにもいろいろとあるようで,ご教示ありがとうございます.
当方のコンテンツもあまり残りは多くありませんが,
やり始めた機会に,一気に70年代の写真を整理しようと考えています.
またいろいろと教えてください.
よろしくお願いします.


by 銀河鉄道 (2010-03-07 14:49) 

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