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呉線(3) 広島付近と糸崎機関区/1970年3月22日 [呉線]

広島ユースホステルで朝をむかえました.あいにくの曇天,午後からは雨になりそうです.今日はネオパンFは使わず,ネオパンSSを使うことにしました.この天気ではASA100でも厳しいような気がします.朝食をとってから広島駅に行きました.

実は昨日の安芸号,少しピントが甘かったのです.今ならデジカメですから,昨日の撮影状況をすぐに確認して,次の日の計画を修正することができます.でも,この時代は銀塩なので,うまく撮れていることを期待して,予定にしたがって行動しました.今日は,呉線は安登付近と忠海付近でねらうことにし,あとは,広島から海田市間の山陽本線,そして糸崎機関区を訪れることにしています.

◆◆◆ 山陽本線 (広島-海田市)

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▲D51 1059.広島駅.呉線923列車?.923レはD51が引いていることが多いらしい.

今になって思うと,こういったところで撮影したSLというのが貴重なものに思えます.景色のよい有名撮影地で撮るのはもちろん気持ちがいいものですが,時間が経ってSLが消えてしまうと,ごみごみした街中を走るSLになんとなく生活臭のようなものを感じてしまうのです.これはこれでまたSLが生きていた証のような気がします.

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▲927列車,C62 16.向洋駅.

まずは,広島駅7:44発の山陽本線の電車328Mに乗って,向洋駅へ行きました.旅行メモによると駅弁を200円で買ったと記しています.物価が安かったですね.昨日小屋浦付近で撮った広発の普通列車が,次々と広島めがけてやってきています.上は向洋駅を発車するC62 16牽引の927列車.

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▲貨物676列車,D51 262.向洋駅.入線を駅長が見守っている.

しばらくすると,隣のホームに呉線の貨物676列車が入線してきました.駅長さんでしょうか,停止位置を誘導しています.私のいるところは山陽本線のホームなので,すぐに渡って呉線のホームへ行きました.この次は呉線のSL牽引624列車に乗って安登の方まで向かいます.ちょうどこの貨物列車の横に,624列車が入線してきました.

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▲貨物676列車D51 262と旅客624列車C59 162.向洋駅.

機関士さんにお願いして写真を撮らせていただきました.これは40年前の写真ですから,機関士さんもご存命であればきっと70から80歳くらいでしょう.何かのご縁があればこの写真を差し上げてもいいくらいです.本当にこのころの機関士さんたちは親切で,鉄道ファンの「少年」にはいろいろとポーズをとったりしてサービスしてくださいました.

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▲624列車,C59 162.3人の機関士さんたち.向洋駅.許可を得て撮っています.

さて,時間もあわただしく,この列車に乗車しました.向洋発8:29です.朝の広発のSL普通列車群は上の927列車で終わりですので,次は糸崎からの621列車が来るはずです.ダイヤによると,向洋-海田市間ですれ違うはず.案の定やってきました.

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▲621列車,C62 37.海田市-向洋.624列車内から撮影.

◆◆◆ 呉線 (安登付近)

さて,しばらくはSL列車の旅を楽しみます.C59 162の引く列車はどんな感じだったかはもう忘れてしまいました.古い客車の1両目に乗って,機関車の息づかいをききながら,安登駅までの約1時間20分の旅です.私は「撮り鉄」ではありましたが,「乗り鉄」でもありましたので,移動を味わうこういう旅がたまらなく好きでした.今は窓を開けて走る古い客車もないし,なんか情緒がありません.だいたい歳を取るとこういったボヤキが多くなります(笑).

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▲624列車,C59 162.安登駅.

安登駅に着くと,列車から降りるやいなや,発車のシーンを撮影するために向かいのホームへ渡りました.このころは線路を横断して渡るのが公式ルートで,便利でした.同じ列車に乗ってきた鉄道ファンたちが発車シーンを撮影しています.

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▲624列車,C59 162.安登駅.

この624列車は一足先に糸崎へ向かって発車していきました.安登周辺では,下りの急行安芸をねらうことにしています.今日は下りということもあって,安芸川尻の方へは行かず,安浦の方に移動して撮影地を探しました.でもいいところはありません.いつもそうなのですが,安芸をねらうときは凝りすぎて失敗します.

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▲37列車急行安芸.C62 15.安浦-安登.

普通列車の客車と違って,安芸はオロネ10などの寝台客車を引いていますから,ちょっと違った感じです.C62も少し鼻が高くなっているようにも感じます(機関車トーマスの見過ぎ!).機関車列車の写真は,向かってくるのもいいのですが,去っていくシーンに何か郷愁を感じます.さて,こちらも糸崎へ移動します.安登12:09の640D列車に乗り込みました.途中須波で675列車と行き違いました.いつのまにか雨が降り始めていました.

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▲貨物を待つ640D列車と675列車.D51 755.

◆◆◆ 山陽本線 (糸崎駅と糸崎機関区)

糸崎では先に到着したC59 162がいました.糸崎駅では昼食をとりましたが,これまた「そば」が60円と記録しています.いや,本当に食費が安かったですね.ちなみにこのあと忠海でパンを買ったのですが,これが2個で40円でした.

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▲C59 162.糸崎駅.一度切り離されて,もう一度客車の先頭に付け替えられた.

糸崎の操車場ではC50が働いています.C50という形式のSLにはそうめったにお目にかかれませんので,ここでじっくりとC50の入れ換え作業を見学しました.ゼブラカラーに塗られて,入れ換え専用機になってしまっていますが,懸命に働いていました.

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▲C50 88の入れ換え作業.糸崎操車場.

続いて,糸崎の機関区を見学しました.C62やC59はほとんど出払っていて,C59 161が1台いただけでした.糸崎区に所属する機関車は多いと思いますが,現役で活躍しているため出払ってしまっているのでしょう.あとはD51とC50.1台プレートをはずされたC62 41がいました.

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▲糸崎機関区.D51などが止まっている.

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D51 458,D51 594.糸崎機関区.

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▲C50 66とC62 41.

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▲C59 161.糸崎機関区.

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▲プレート.

◆◆◆ ふたたび呉線へ (忠海付近)

さて,時刻も次第に遅くなってき,雨も降って暗くなっています.最後にもう一度急行安芸を撮るために,呉線に戻ることにしました.糸崎14:55発の645D列車で移動しました.途中の須波駅でD51 818の引く626列車と行き違いました.

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▲645Dと626列車.D51 818.須波駅.

忠海には15:23に着きました.付近で海を入れて撮影します.しかし雨は本降り,空も暗く,さらに間が悪いことに,機関区でフィルムをネオパンFに入れ換えてしまったのです.こんな天気でASA32では,撮った写真はすべてぶれたり流れたりしていました.急行安芸は結局満足行く場所でベストショットを決めることができませんでした.まあ,最後に記念として流れた安芸を掲載しておきます.これもネオパンFの功「罪」ですね.

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▲本降りの中を走る38列車急行安芸.C62 15.忠海-安芸幸崎.

◆◆◆ さらに旅行は続く

さて,この呉線の旅は,今回の旅行の序章に過ぎません.これから大阪へ戻って,急行「きたぐに」で一気に裏日本を目指します.とりあえず行程を記しますと,忠海17:35発646Dで三原へ17:57着,そこから18:07発202M急行つくし2号で大阪到着22:01でした.

呉線(2) -日本半周撮り鉄の旅/1970年3月21日 [呉線]

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▲広駅で出発を待つC62 17,C62 23.これらとはこのあとで出会うことになる.

広駅で音戸2号を見送ったあと,SLの引く921列車で,小屋浦へ移動しました.この921列車も撮影したかったのですが,これしか移動手段がないという「贅沢な」移動です.小屋浦は,呉線では有名な撮影地です.600番台の旅客列車や急行安芸などは,広駅より東の方も走っていますが,朝夕にたくさんSL列車が走る広-海田市間では,海辺を走る小屋浦が撮影しやすい場所でした.広6:13発,小屋浦到着6:51でした.

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▲小屋浦まで乗ってきた921列車を引くD51 5・・.小屋浦駅.

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▲小屋浦の集落を出る.D51牽引の923列車.

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▲923列車,D51.小屋浦.向かい側の島は江田島.

まずは921列車のすぐあとに来る923列車を捉えるのですが,その間わずか10分程度.上の写真の撮影位置から見て,撮影ポイントまでかなり急いだはずです.実はあまり覚えていないのです......まあ,921列車が行ってから,923レ,925レ,927レと1時間足らずの間に次々と列車が通りすぎていくので,もう大忙しだったと思います(人ごとみたいに言ってますね).

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▲925列車,C62 17.小屋浦.

朝の下り列車は,正面から撮ると,東から昇る太陽を背にしてすべて逆光になります.でも,白い蒸気が光り輝くので,うまく露出をコントロールできると,それなりにきれいな写真になります.上の写真は結構気に入っている写真の一つです.

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▲925列車,C62 17.小屋浦.カラーで同時に撮影した.

さて,次々に来る列車を撮るためには,感動に浸っている時間はありません.次は927列車です.同じ位置で撮影してもつまらないですから,すぐにまた移動します.

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▲927列車,C62 23.小屋浦-坂.

上の写真を見ていると,C62のボイラーはとても太く大きいことがよく分かります.これ以上太くできないという限界まで大きくして,馬力を出そうとしているんでしょうね.この撮影場所は線路に近すぎて,もう一ついい場所ではありませんでした.まあ,次の列車まで10分少々の連続ですから,そう簡単にいい場所ばかりには当たりませんね.

広発広島行きの集団が通り過ぎたら,糸崎からの621列車の番です.今度はC59が引いていました.先ほどの場所よりは少し線路から離れていて,ゆとりを持って撮影できました.横の道路を走っているオート三輪が時代を感じさせます.すぐ横を通り過ぎるC59 164は迫力がありました.

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▲621列車,C59 164.小屋浦-坂.

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▲621列車,C59 164.小屋浦-坂.

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▲621列車,C59 164.小屋浦-坂.

これでやっと朝のSLラッシュアワーが終わり,次の上り624列車まで小一時間休憩できます.今度は上り列車なので,順光になります.朝の上りSLは数が少ないので,ゆっくり場所を選んで撮影しました.

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▲624列車.C62 16.坂-小屋浦.海の向こうの島は金輪島.

同じ場所で,標準レンズを使ってカラー撮影もしました.海に突き出た半島のようなところは観音崎です.Googleの航空写真を見ると,今はこの手前の海が埋め立てられ,この景色はもう撮影できないようです.

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▲624列車.C62 16.坂-小屋浦.半島は観音崎.

呉線にはC62の15号機,16号機,17号機と連番がいるのですね.朝のうちにこれら全部に会ったことになります.こんなどうでもいいことですが,鉄道ファンには,妙にこだわってしまう何かがあるのですね.さて,次は10時過ぎに通過する貨物676列車です.これはネガがないと思っていたらカラーだけで撮影していました.

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▲676列車,D51 755.坂-小屋浦.背景の島は金輪島.この列車にはまた後で出会うことになる.

かなり坂駅の方にまで移動してきたので,次の列車まで1時間近くあることもあり,ここらでUターンして小屋浦の方に戻ります.途中640D列車を試しに海側から撮影しました.今考えるとこの位置で上りの安芸を撮ればよかったと後悔しています.

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▲640D列車.坂-小屋浦.

列車番号の記録が怪しいモノクロのネガに残っていた貨物列車(下の写真)は,道路を左に見て走っていますので676列車の次の671列車だと思います.D51の引く貨物列車になると緊張がゆるむのか,記録もいい加減になっています(笑).

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▲671列車,D51.小屋浦-坂.

さて,いよいよ急行安芸の番になりました.どの場所でねらうか,考えすぎて結局変なところで撮ってしまうのです.今回も電化前の電柱や電線のいっぱいある,小屋浦を出てすぐのところで撮ってしまいました.ただ,D51を2両目に引き連れた重連構成になっていたのがラッキーといえばラッキーでした.

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▲37列車,急行安芸.C62 37+D51.小屋浦-坂.

さて,下りの安芸を撮影したら,次は上りの安芸になります.もう時刻はお昼過ぎ.あっという間に時間は経ってしまいました.ここで,場所を移動することにしました.この前の年の四国旅行のついでに寄った時に行った,安芸川尻-安登間です.小屋浦を12時過ぎに出る642Dで安芸川尻まで移動しました.

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▲641D.安登-安芸川尻.

安芸川尻から安登にかけては地理勘があったので,途中ディーゼルカーの641Dなどを眺めながら,迷わず上りの安芸が勾配に差しかかるところへ行きました.安芸が来るまではかなり時間があり,その前に,626レ,676レ,673レなどがここを通ります.

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▲626列車.D51 7・・.安芸川尻-安登.

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▲676列車.D51 755.安芸川尻-安登.小屋浦で見た貨物列車.移動で追い越した.

安芸が通る前には荷物42列車が通ります.モノクロの方は,少し曇ってきたせいでやはりネオパンFの低感度がたたり,シャッター速度が稼げなく,流れた写真になってしまいました.

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▲荷物42列車.C62 23.安芸川尻-安登.

続いて上りの安芸がやってきました.まったく去年と同じアングルの写真です.一つ違うのは,電化が間近ということで,電柱や架線がもうほとんど完成していることです.

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▲38列車,急行安芸.C62 37.安芸川尻-安登.

安芸を撮り終わったので,今日はこれでおしまいにすることにしました.今日は,効率よく,出会うすべてのSL列車をカメラに収めることができました.ダイヤで見ると分かりますが,撮り漏らしはほとんどありません(単機回送が一部撮れていません).

さて,安芸川尻16:30発の645D列車で,広島へ行き,広島ユースホステルに宿泊しました.明日はもう一度呉線を訪れ,糸崎機関区を少し見て,一気に北上します.

日本半周「撮り鉄」の旅/1970年3月21日-31日 [呉線]

私にとっての最大の「撮り鉄」旅行,日本列島を約半周してのSL撮影旅行に出かけていきました.はじめは北の方面だけにしようと考えていたのですが,呉線がこの年の秋には完全電化されると聞いては,もう居ても立ってもいられません.北へ行く前に,方向は全く逆ですが,呉線に立ち寄って,大型SLの最後の勇姿をカメラに収めておこうと考えました.これからの何回かのシリーズは,この広島県から北海道に至る,各地の(といってもほとんどが移動で,立ち寄ったところは多くはありませんが)SLを紹介していきたいと思います.

◆◆◆ ネオパンFの功罪

本題に入る前に,ちょっと脇道にそれます.

この旅行では,一部を除いて,フィルムにネオパンFを使いました.これはASA(ISO)32という,低感度のフィルムです.通常のネオパンSSはASA100ですから,かなり低感度ですね.でも,非常に微粒子で,ネオパンSSで撮った写真をスタンダードTVとしますと,ネオパンFで撮った写真はハイビジョンTV画面を見ているような感じになるほど,精細に写ります.

ちょうどこの旅行に行く時期に,このフィルムに魅せられていました.鉄道写真は動く被写体ですから,本当は感度の高いフィルムでシャッター速度を上げた方が有利なのです.でも,この精細な画面に惚れてしまって,これを持っていきました.幸い,北の地方はこの時期まだ雪が残っていて,結構外は明るく,シャッター速度の低下にはあまり悩まされませんでした.

しかしながら,です.このネオパンFというフィルムは,非常にコントラストが強く,硬調に仕上がります.そのフィルムで,真っ白な雪の中を走る真っ黒なSLを撮影したものですから,プリント仕上げがほとんどうまくいきませんでした.軟調の印画紙を使っても,雪景色の階調を出そうとするとSLが真っ黒になり,SLの階調を出そうとすると雪景色が白く飛んでしまいます.

結局,旅行が終わって,自宅で十数枚を焼き付けて,がっかりしてしまいました.あのときの落胆は,今でも忘れません.ネガにはくっきりとした階調が写し出されているのに,ポジにするとそれが表現できないのです.結局,多くの写真が印画紙に焼き付けられることなく,今日まで眠っていました.

ところが,写真がデジタル処理できる今日,この悩みは大きく改善されました.この硬調のネガが,デジタル化して画像ソフトで処理することによって,景色もSLも,白飛びも黒つぶれも派手に起こさず表現できるようになりました.こうなってくるとネオパンFの微粒子性の威力が発揮されます.

今回紹介する写真は,かなり細部までくっきりとしたものが多いと感じられると思います.このブログで紹介する今このとき,ネオパンFで撮っていて良かったと初めて思いました.腕は下手ですので写真そのものはたいしたものはありませんが,その微粒子による細部のディティール感をぜひ味わってみてください.

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▲雪景色の中のC12 69.コントラストの強いネガと,デジタル処理による軟調仕上げ.ネオパンF.

◆◆◆ 旅行の切符

さて,話を本題に戻しましょう.

この長期旅行は,呉線の往復は普通の切符で,北の方へは道南均一周遊券を使いました.この時代,3月末までの冬季の道南周遊券は,学割を使うと,たしか7500円程度で買えたと思います.行き帰りは日本海側の路線でも太平洋側の路線でもよく,途中下車も自由です.つまり,道南均一周遊券を使うと,大阪から北陸線・羽越線を通って北海道に渡り,北海道から奥羽本線・東北本線を通って東京経由で大阪に戻れます.つまり旅費はこれだけで,通り道のSLを撮影できることになります.

あと宿泊はユースホステルと車中泊を利用すれば,お年玉を貯めておけば十分に旅行資金が貯まるという,ある意味よき時代であったように思います.

◆◆◆ いざ呉線へ

呉線へは,303列車急行音戸2号を使いました.これは夜行で,三宮0:14発です.呉線ではC62の引く急行安芸が有名でしたが,同じくこの呉線経由の音戸もC62が引いていました.でも早朝に呉線を通り広島に着くので,あまり多くは撮影はされていないと思います.私の乗った音戸2号は,広駅へ5:59に着きました.さて,活動開始です.まずはダイヤグラムでじっくり検討です(といっても出発前に飽きるほど見ているのですがね).このダイヤの6時台に303列車が出ています.

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▲呉線の当時のダイヤグラムを復元した.横に長いので2分割した.
  急行音戸2号 303レ/C62,C59.急行安芸 37レ,38レ/C62,C59.
  広-広島間旅客 921レ,922レ,923レ,924レ,925レ,926レ,927レ,929レ
    /C62,C59,D51.
  糸崎-広島間旅客 621レ,622レ,623レ,624レ,626レ/C62,C59.
  荷物列車 42レ,1043レ/C62,C59.
  貨物列車 671レ,673レ,674レ,675レ,676レ/D51.


これを見て分かるように,朝方,広駅から広島へ向かうSL列車が連続しています.これを撮影するには,音戸2号がぴったりだということがお分かりでしょう.広駅に降り立って早速行動開始です.まずは自らの列車を引いてきたC62 15の記念撮影をしました.

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▲303レ,急行音戸2号.広駅にて.1970.3.21.

<次回に続く>

呉線のC59,C62/1969年7月30,31日 [呉線]

四国均一周遊券のうまみを生かして,予讃線堀江駅から仁堀航路を使って,呉線のSLを見に行きました.ところでみなさんは仁堀航路ってご存じでしょうか? 四国と本州を結ぶ国鉄連絡船といえば宇高連絡船が有名ですが,当時はとってもマイナーなもう一つの連絡船が,予讃線堀江駅と呉線仁方駅の間を就航していたのです.後にも先にも,私もこの連絡船に乗ったのはこのときだけでした.ネットで調べると,1982年に廃止になったとのことです.

さて,呉線といえば,この当時は,C62やC59といったかつての花形SLが生き残っている線区ということで有名で,さらに,これらが急行列車「安芸」を列車サインを付けて引いていることで,多くの鉄道ファンが訪れたところです.私も,今回の訪問で味を占め,翌年の春にもまた呉線を訪れました.

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▲C59 161の引く38列車急行安芸.安芸川尻-安登間.1969.7.31

◆◆◆ 7月30日

高松を8:04発の急行うわじま4号に乗り今治へ,そこで普通1125列車に乗り継いで堀江に着いたのは11:31でした.堀江港12:15発の4便,安芸丸に乗って,仁方港に着いたのが14:20でした.ところでみなさんは「仁堀航路」ってご存じでしょうか.これは,予讃線堀江と呉線仁方を結ぶ国鉄連絡船です.当時,四国と本州を結ぶ国鉄連絡船としては宇高連絡船がよく知られており,これが四国に入るメインルートでした.それを補うようにずっと西の方に仁堀航路があったのですが,これは1982年に廃止になったそうです.

さて,仁方について休む間もなく安登駅へ移動,安登に付いたのは14:59でした.急行安芸は寝台列車で始発駅を出るのも遅いので,この時間でも十分に間に合います.さっそくロケハンもそこそこに,上り急行安芸の撮影に挑みました.もっとも,今回は8mm優先にしました.もちろんテレコも持参しています.


▲38列車,急行安芸.安芸川尻間-安登.C62 15.

この急行安芸が通り過ぎる前に,荷物42列車が通りますが,これも大型SLが牽引しています.

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▲荷物42列車.C62 23.安芸川尻-安登.

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▲926列車.C62 37.海田市駅.

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▲EF59 7.海田市駅.安全カラーが塗られており,おそらく入れ換え用なのだろう.

p0097.jpg今日はこれ以後はあまりパッとしないので,安登に戻り,16:21発の645D列車で広島に行きました.途中の海田市駅では,バック運転のC6237が牽引する926列車を見たり,駅に止まるEF59を撮影したりしました.そして宿泊地は,広島ユースホステルです.

◆◆◆ 7月31日

広島ユースホステルを7:00に出て,広島発7:44の328M電車に乗りました.この旅行で「電車」に乗るのは久しぶりです.向洋で降り,駅のホームでD51 1058の引く貨物列車を撮影し,呉線のSL普通列車624レに乗り換えました.

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▲向洋駅に停車する,貨物676列車.D51 1058.D51は4桁の車両台数があるのですね.

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▲呉線624列車,D51 755.SL列車に乗って,撮影に出かける.向洋駅.

昨日までの晴天と違って,朝から曇り空,天気は持つかな?と案じていましたら,列車が進むにつれて雨が降り出し,目的の安登駅に着いたときには本降り.安登近辺で下りの急行安芸を撮影しようと思っていましたが,この雨では気持ちが萎えてしまいました.しかたなく,安登駅のホームで,通過する急行安芸を撮影することにしました.雨が降って少し気温が低かったのか,煙突からです水蒸気が白く湯気になっていました.


▲37列車,急行安芸,C59 161.安登駅.

急行安芸は,C62かC59が牽引することになっているのですが,C59は台数が少なく,多くはC62が引くと聞いていました.やってきたのはC59牽引の安芸でした.曇っていた気持ちも少し晴れました.急行安芸は確か東京発呉線経由の広島行き寝台列車ですので,下りは午前中に通ります.

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▲37列車,呉線経由広島行き急行安芸,C59 161,安登駅.上の映像と同じ.

さて,安芸号は安登駅で撮影しましたが,とにかくここまで来ているので,雨の中,安芸川尻の方に向かって歩いていきました.もちろん,次の上りの安芸号の撮影位置をロケハンすることが目的です.途中,D51の引く普通列車や貨物列車が通過する時刻になると適当な位置を見つけて撮影をしました.

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▲下り貨物列車,D51.列車番号不明.安登-安芸川尻間.

呉線の多くは海岸線に沿って走っており,何とか海と列車を同時に入れて写真をと考えましたが,適当に線路沿いを歩いただけではそんないいポイントが見つかるはずもありません.上の写真などは,今思うとなぜ木の間から撮ったのか不思議ですね(笑).雨宿りしながらの撮影だったからかもしれません.

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▲673列車,D51 761.安登-安芸川尻間.

そのうち雨も小降りになってきて,少し希望がもてるようになりました.安登から安芸川尻の間に,海岸線から少し離れて丘を登っていくようなロケーションがありました.上り列車が上り勾配に差しかかる部分で,大きくカーブしていて遠望もききいい感じです.ただ,電線がカーブの外側にあって,撮影位置から列車と重なります.これ以上歩いても仕方ないと判断して,ここで,上り急行安芸と,その前に通過する荷物42列車を撮影することにしました.トップのカラー写真はこの位置で撮影したものです.

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▲荷物42列車,C62 23.安芸川尻-安登間.

ここでは動画も撮りました.でも音声を撮っていません.ずっと以前の編集時にも見つからなかったのを覚えています.ということで,動画は音声なしになっています.


▲荷物42列車,C62 23.安芸川尻-安登間.音声はありません.


▲38列車,急行安芸,C59 161.安芸川尻-安登間.音声はありません.

さて,呉線に来た目的は達成できましたので,あとは帰りの船の時間まで,通る列車を撮影するだけです.そこで,安芸川尻まで歩いた後,645D列車で広の方に移動しました.広から安芸阿賀の方に歩いて,黒瀬川の鉄橋で撮影することにしました.街の中になると,障害物のない川が一番撮影しやすい場所になります.

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▲黒瀬川の鉄橋を渡る922列車.C62 16.短い区間の往復運転はC62といえども逆進する.安芸阿賀-広.

上の922列車は,広島発広行きで,この鉄橋を渡るとすぐに終着の広に着きます.そして機関車を先頭に付け替えて,すぐに929列車として広島へ戻ります.

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▲929列車,C62 16.上の列車が広から引き返してきたものである.広-安芸阿賀間.

朝夕は,C62,C59,D51の引く通勤列車が,広島と広(本当は呉までが目的だと思いますが)の間を,たくさん走ります.朝のうちのこの集団は,急行安芸を安登駅の方面で撮影するためにパスしてしまいましたので,夕方の方をまとめて撮ろうというわけです.922列車の次は,924列車です.

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▲924列車,C62 15.広-安芸阿賀間.

上にも書いたように,これらの列車は広島-広間を走りますので,あまりいい撮影ポイントがないのじゃないかと思っていました.ゆっくり探せば,あるのでしょうが,まあ,一見さんではしかたありませんね.

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▲荷1043列車,D51 755.安芸阿賀-広間.黒瀬川鉄橋.

そろそろ帰りの列車の時刻が近づいてきました.広から仁方へ出て,仁方港から仁堀航路でふたたび四国に戻ります.広19:33発のC62 37の引く628列車で仁方へ移動しました.広から仁方へはわずか一駅.7分間の旅でしたが,この時期といえども,もうC62などという大型機の引く普通列車にはなかなか乗れないので,お別れにはちょうどよい列車でした.

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▲呉線で買った切符.
  左:最後に四国へ帰るときの切符.広から予讃線伊予北条までたったの360円!
  右:小さな移動に使った切符.固い厚紙の切符が懐かしい.20円という値段表示にはビックリ!

仁方港19:50発の7便,安芸丸で堀江港に着いたのが少し遅れて22:00,堀江駅に行って22:04発の1142D列車に(これ確か遅れた連絡船を待っていてくれたように記憶している)乗って今治到着が23:16.こんな夜中にと思うかもしれませんが,なんと四国内には夜行列車があったのです! 今治0:38発の急行うわじま9号で高松到着が3:25,そのまま高松始発4:37の普通列車531Dに乗り継いで,地蔵橋へ朝のハチロクやC11の列車を撮影に行きました.いやはや,今考えるととんでもない強行軍です.高校生の体力って,自分で言うのも変ですが,すごいものですね.この続きは次回.

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