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四国のSLを追って (7) 大坂峠にもう一度/1969年8月2日 [四国各線]

大坂峠の讃岐相生側へ一度出かけてみたい気持ちがあったので,8月2日に実行しました.均一周遊券の期限もあとこの日を入れて2日間.明日は帰らなくてはいけないので,今日が最後のチャンスです.しかし運命は皮肉なもので朝から曇り空.写真を撮るにはちょっと残念な天気です.特に8mmはまだ性能が高くなく,曇っているとぼやけた感じになってしまいます.

さて例によって高松朝4:37発の531D列車で讃岐相生まで直行,讃岐相生駅到着が5:41でした.ここで,朝の何本かの列車を待ちます.讃岐相生側はやってくるのが初めてなので,ロケハンしながら歩きました.撮影場所が決まらないまま,上りSL牽引始発列車の322列車に出会いました.これは坂を下る側のSL列車です.

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▲322列車,C58 104.阿波大宮-讃岐相生間.

大坂峠の板野側に比べてこちらの讃岐相生側は,遠望がきく地形なので,何とか遠くのSL列車を撮りたくて場所を探しました.しかしやはりそう簡単に見つかるわけはありません.木が邪魔だったのですが,なんとか妥協できる位置に座って,次の列車を待ちました.下り列車が坂を登ってくるので,まず最初の旅客321列車です.

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▲旅客321列車.C58 295.讃岐相生-阿波大宮間.

これは写真におさめました.次の下りは,貨物383列車.これは8mmに専念することにしました.この日太陽が強く照って晴れていれば,もっと鮮明な映像が撮れたのに残念です.


▲貨物383列車.C58 88.讃岐相生-阿波大宮間.

次は上り貨物382列車.これは坂を下ってくるので迫力は望めません.

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▲貨物382列車,C58 367.阿波大宮-讃岐相生間.

続いて下り貨物385列車です.こいつはいつもコンテナを引いています.当ブログにコメントをお寄せいただいた南東風さんのブログ記事を参考に書きますと,この場所では,SLに続いてすぐにコキがつながっています.

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▲貨物385列車.C58 333.讃岐相生-阿波大宮間.

さて,この次の下り列車は貨物387列車ですがこれは午後遅くになりますので,残念ですが,大坂峠はここでおしまいにしました.このあと,前回紹介しました徳島駅の78680号機の入れ換え作業を見に行きました.徳島駅では,先ほど385列車を引いていたC58 333が,上りの(多分)384列車の牽引機となって止まっていました.このC58は385レから384レへと運用されているのでしょうね.

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▲多分貨物384列車.C58 333.徳島駅.

p0139.jpg◆旅客428列車,C58 12.徳島駅.

これは徳島線の列車で,7月26日に乗ったあの列車です.またC58 12が引いていました.今ならこんなふうに駅で止まっている機関車の正面から撮影なんかすると犯罪物ですが,この当時は結構列車の直前直後を横断できていました.いやはや本当にのんびりした時代でした.


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▲徳島駅にたたずむC58 88.これも,先ほど大坂峠で出会った貨物383列車を引いていたもの.

◆◆◆ 旅の終わり

ということで,あとは前々回紹介しましたように,地蔵橋付近へ足を運び,ハチロクを撮影しました.そして均一周遊券が切れる8月3日,最後まであきらめず,高松4:37の531D列車(もうこれ通勤列車並みに利用しましたね)に乗って,地蔵橋へ行き,最後の撮影をしてから徳島9:50発502D急行むろと1号(キハ28 2490)で高松へ,宇高連絡船伊予丸で宇野へ,そして山陽線に乗り継いで帰宅しました.

最後に,本旅行とは関係ないですが,この前の年に,土讃線を旅したとき,阿波池田で撮影したC58を紹介して,四国特集を終わりにしたいと思います.

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▲列車番号不明(旅客列車).C58 143.阿波池田駅.1968.8.7.

P.S. 当ブログへお越しいただいた南東風さんが言っておられましたが,この撮影旅行は本当にぎりぎりのタイミングだったようです.実は7月28日に大坂峠で撮影しているとき,香川県の方と出会って,(その方も大坂峠へはよく来られていると言っていました)「高徳線のSLは8月でなくなる」ということを聞きました.毎日重いテレコや8mmやカメラを担いで,早朝高松駅4:37の531Dに乗ってがんばれたのは,この一言があったからだと思います.まさに初めての撮り鉄(今はこう言うのだそうですね)旅行で,若さで走り回った感じでした.でも,今思うと,他の撮り鉄旅行よりずっと充実していて良かったと思っています.

四国のSLを追って (6) 徳島駅ではたらく78680/1969年8月2日 [四国各線]

地蔵橋付近の通過列車が少ない時間帯に,昼食も兼ねて,徳島駅にやってきました.以前ちょっと見た78680の入れ換え作業を撮ろうと考えていたからです.

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▲78680号機.徳島駅操車場にて.

入れ換え作業は発車とブレーキの繰り返しで,機関車がかなり傷むんじゃないかと,どうでもいいようなことを考えながら,見ていました.この時代は,大阪の吹田操車場でもSLが入れ換え作業をしていました.第一線を退いたSLたちは,最後の活動場所を操車場に見いだして頑張っている時代でした.

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▲荷物列車を入れ換えている,78680.

どこかから徳島駅にやってきた貨物車両,おもにワム形式を,1台1台,行き先に応じてつなぎ変えていく作業は,鉄道が貨物の主役だった時代を物語っています.そして新しい編成になって,目的地へ運ばれていきます.そう考えると,貨物車両は全国を駆けめぐっていたということになるのかなぁ.

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▲貨物車両の入れ換えをする.

操車場は道路のすぐ横にあるのですが,この時代の車の古さが,SL時代にマッチしてます.

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▲操車場の外側から.
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▲二人で機関車を操縦する.
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▲ハチロクのスポーク車輪.

最後に動画を掲載しておきます.


▲78680の入れ換え作業.徳島駅操車場.

C58も入れ換え作業をやっていましたので,最後に一つ...

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▲C58 110,徳島駅操車場.

四国のSLを追って (5) 牟岐線/1969年8月1日-3日 [四国各線]

四国のSLを追いかける旅もいよいよ終盤に近くなってきました.呉線から夜行,始発を乗り継いで,三度牟岐線にやってきました.ハチロクやC11の引く列車に気持ちが惹かれ,最後の三日間とも,この地を訪れました.このページではそれらをまとめて紹介します.今日は趣向を少し変えて,ここを走る,C11,8620,C58の機種別に,写真をまとめておきましょう.

◆◆◆ C11

C11は,私が訪れているときはいずれも31番機が旅客列車を引いていました.ただ一度だけ,地蔵橋駅の前をC11 66の引く貨物列車が突然通り抜けたのを,8mmで記録したのを見つけました.

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▲424列車,地蔵橋-中田.C11 31.1969.8.1.
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▲回送列車,地蔵橋,C11 31.1969.8.2.

では,最後にC11 66の引く貨物列車です.C11が貨物を引くというのは,私はあまり見たことがありませんでした.


▲列車番号不明.C11 66.地蔵橋駅にて.1969.8.2.

◆◆◆ C58

C58も牟岐線に乗り入れていました.高徳線や徳島線の列車の回送だけでなく,行き先のメモをしていませんが,牟岐線の列車も引いていました.

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▲321列車の回送 C58 121,地蔵橋付近.1969.8.1.
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▲列車番号不明,C58 367.地蔵橋-中田.1969.8.1.
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▲列車番号不明,C58 332.二軒屋-地蔵橋.1969.8.3.(南東風さんによると422レ)

最後は地蔵橋駅前を通り過ぎるC58重連(笑)です.たぶん,1機は回送のついでにつないでいるのだと思います.でも,いちおう重連.バックの重連です.音声はありません.


▲回送324列車.C58+C58.地蔵橋駅.1969.8.2.

◆◆◆ 8620

ハチロクは,私が訪れたときは,すべての旅客列車を78647号機が引いていました.徳島駅では78680号機が入れ換え作業を,小松島機関区には,68692号機が止まっていました.見たのはこの3機だけです.私はSLの中でもスポーク車輪が好きで,四国旅行ではハチロクを意識して多く撮りました.

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▲426列車の回送,78647,地蔵橋-中田,1969.8.1.
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▲521列車の回送列車,78647,地蔵橋.1969.8.2. スポーク車輪が美しい.
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▲522列車,78647,地蔵橋-二軒屋.1969.8.3.

最後はハチロクの引く522列車の動画です.これには残念ながら音声が入っていません.これを撮影した場所を失念してしまったのですが,どなたかどの駅間か分かりませんかねぇ...(コメントをいただいた南東風さんによりますと,地蔵橋を出発するところらしいということです.ありがとうございます.)


▲522列車,78647.1969.8.2.

8月1日は午前中に,2日は夕方に,3日は午前中に,それぞれこの地を訪れました.回送列車なども多く,列車番号が不明なものも多くあります.あと,残りの時間は,大坂峠の讃岐相生側と徳島駅構内でのハチロクの入れ換え作業を見ました.これらについては,次回以降で紹介します.

四国のSLを追って (4) 高徳線大坂峠/1969年7月28-29日 [四国各線]

牟岐線で朝の列車たちを撮影した後,高徳線阿波大宮駅付近,大坂峠へ,峠を登るC58列車を見に行きました.高徳線,徳島線,牟岐線,いずれも平地を走る部分が多いのですが,ここだけは峠越えの坂道が続きます.

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▲貨物384列車,C58 367.板野-阿波大宮.

今まで列車の中から見ていた風景を思い出しながら,今日は,ロケハンをかねて,阿波大宮付近を歩いて回りました.上の写真の,板野を出て阿波大宮に近づいた,川沿いを大きく左にカーブしながら登ってくるところは,遠くから近づく列車を見ることができるので,ここで,明日は8mmを回すことにしました.

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▲貨物387列車.阿波大宮から板野駅へ下る.C58.

阿波大宮から讃岐相生の方へも少し歩きました.そこにはトンネルがあって,ここから出てくるSLをねらえそうです.

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▲貨物386列車,C58 333.阿波大宮-讃岐相生間.トンネルに入る手前.

明日はできるだけたくさんのSLを見るべく,一日大坂峠で過ごすことを決心し,28日はこれで引き上げました.阿波大宮発16:42の358D列車で高松に戻りましたが,途中,上の386列車を三本松駅で追い越しました.

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▲貨物386列車,C58 333.三本松駅.

◆◆◆ 7月29日

さて,次の日の早朝,高松4:37の始発で,阿波大宮駅に向かいました.高松では,SLが止まっていましたので,夜の写真を一枚...,このころはストロボなんて高価なものは持っていなかったので,これはいわゆるフラッシュ撮影です.

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▲出発を待つC58 104.高松駅.

阿波大宮に着いたのが5:52.夏の空はもうすでに明るくなっています.列車時刻表とにらめっこしながら,予定のポイントへ移動します.まずは上りのSL一番列車322列車です.いわゆる夏の朝曇り,すこしもやがかかったような空気の中を,C58 110が通り過ぎました.

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▲旅客322列車,C58 110.板野-阿波大宮.

続いては下りSL一番列車,321列車です.こちらは讃岐相生の方から登ってきますから,例のトンネルの出口へ急ぎます.機材を持って早朝から見知らぬ男が走り回っているのですから,地元の人は変に思っていたのじゃないかなぁ.

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▲旅客321列車,C58 121.讃岐相生-阿波大宮.

トンネルを出てくるSLは,意外とおとなしい走りでした.トンネル内で煙は多く出せないでしょうからね.次は貨物の上りSL一番列車,382列車です.

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▲貨物382列車,C58 333.阿波大宮-讃岐相生.

阿波大宮駅の近くは山が接近し,列車を遠くから撮影するいい場所があまりありません.そこで,一応3本の列車が撮れたので,阿波大宮駅から讃岐相生駅の方へ移動することにしました.讃岐相生は,海岸線から大坂峠に入っていく眺望のよいところが広がっています.阿波大宮8:18発(まだこんなに早い!)の340D列車で讃岐相生に行きました.

ここで,讃岐相生から阿波大宮へ登っていく貨物385列車を撮りましたが,完全にピンボケ.使っていたカメラは一眼レフではなく,コニカS3という距離を勘で合わせて撮影するのものなので,気づかなかったんですね.残念.次のSLは,時刻表によると,貨物384列車と387列車が阿波大宮駅で行き違います.それまで少し時間があったので,徳島駅まで行って食事をしました.わざわざ讃岐相生から徳島まで移動したのは,このころはコンビニという便利なものがなく,早朝4:30に出たりすると,弁当の手配もできなかったのですね.また讃岐相生という田舎の駅では食堂もすぐには見つかりません.時代が違いましたね.

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▲貨物384列車(C58 155)と387列車(C58 367)の行き違い.阿波大宮駅.

写真は電柱が邪魔をしていますが,両方のSLを入れようとすると,これしか位置がありませんでした.387列車の機関士がタブレットをタブレット受けに掛けようと構えているのが分かります,右端に写っているらせん状のものがタブレット受けです.このタブレットを左側に停車している384列車の機関士が受け取って,やっと発車が許されます.

駅で387列車を待つ間,先に到着している384列車の機関士さんが話しかけてくれました.この時代,SLを追って四国にやってくる人は珍しいのでしょうか.下の左側の写真,もくもくと煙を上げていますが,これこの機関士さんのサービス?のようでした.そして横を通り過ぎるとき,手を振ってくれました.今では線路横で写真を撮るのは危険行為ということで,きっといい顔をしてくれないと思うのですが,本当にこの時代はのどかでした.なお肖像権があると思うので,機関士さんの目の部分に少しぼかしを入れさせていただきました.

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▲阿波大宮駅を発車する貨物384列車,C58 155.機関士さんが手を振ってくれている.

さて,今日の最後は,板野から登ってくる貨物386列車です.昨日決めていたように,これは遠くが見通せる川沿いの地点で8mmを回すことにしました.午後は山腹に日が当たり,ちょうど順光にもなります.大坂峠の最後に,動画を紹介します.重いテレコも持参して音入りにしています.思えば今日一日テレコを担いで移動しまくったのだなぁ.今回の撮影旅行では,ここがメインなので,小遣いをはたいて買ったカラーフィルムにしています.見え隠れしながら登ってくるC58 12とそのドラフトの音,懐かしいです.


▲貨物386列車,C58 12,板野-阿波大宮.1969.7.29.

帰りは昨日と同じ,358D普通列車.三本松で,上の386列車を追い越して,高松に戻りました.

明日は色気を出して呉線へC62を見に行くことにしています.四国内は均一周遊券でタダですから,予讃線堀江まで行って,仁掘航路で呉線仁方へ渡ります.大坂峠は,讃岐相生の方がまだ消化不良で,これは呉線から帰ってきてからもう一度行くことにしました.これで内子線のC12を見に行く暇はなくなった感じです.

四国のSLを追って (3) 地蔵橋から小松島へ/1969年7月28日 [四国各線]

四国訪問の3日目,7月27日はお休み.4日目,7月28日はまず高松を4:37に出て531D列車で一気に地蔵橋まで行きました.地蔵橋到着は6:48,朝到着するハチロクの引く522列車を撮影しました.これは一昨日佐古駅と蔵本駅の間で撮影したものと同じ列車です.

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▲朝の地蔵橋に到着する522列車.78647.蔵本駅まで乗り入れている牟岐線の列車である.

これを撮影してから中田の方に向かって歩き,いくつかの列車を撮影しました.

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▲上二枚は424列車.C11 31.地蔵橋-中田.

このC11 31の引く列車は一昨日蔵本-佐古間で撮影したのと同じ列車です.偶数の列車番号が付いていますが,蔵本駅から来たもので,徳島線から牟岐線に入って小松島の方へ行くときには上りの番号のままという不思議な列車です.たしかに始発とその次の蔵本-佐古区間は上り線ですから,出発時は確実に上り列車です.そういう理由でこの番号を引き継いでいるのでしょうね.

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▲高徳線321列車の回送.C58 333.地蔵橋-中田.

朝は,この区間をよくSL列車が走ります.小松島駅へ行く424列車をはじめ,高徳線や徳島線の回送列車が次々と通過します.

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▲徳島線426列車の回送.78647.地蔵橋-中田.

一連の列車を見送ってから地蔵橋へ戻り,いったん徳島へ戻ってから次は小松島へ行きました.小松島に着いたのは10:50分.小松島機関区で休んでいたSLは一番はじめの四国のページで紹介しました.そこで写っているC58 333やC11 31は,この上の写真の列車を引いていたものです.小松島線は今は廃線になっており,下のような風景を見ることはもうできません.

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▲小松島機関区の全景.

小松島駅を出たのが11:22で,いよいよ次は大坂峠です.平地の田園地帯を軽やかに走るSL列車と違い,急勾配を登るC58を見に行きます.

四国のSLを追って (2) 徳島線/1969年7月26日 [四国各線]

初日は何とか予定通りの写真が撮れましたが,二日目の徳島線はあまりうまくいきませんでした.遠征してSLを撮影に行くと,どうしても,1列車でも多く撮影機会を得ようと,かなり無理して移動する計画を立てるのですが,このことは,結局現地で撮影地をロケハンする時間が圧縮されることになります.この日はそういった感じの連続でした.

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▲蔵本から徳島へ向かう424列車.C11 31.徳島線蔵本-佐古間.

鳴門ユースホステルを6:45に出発し,鳴門駅から735D列車で佐古駅に向かいました.佐古は高徳線から徳島線が分岐する駅です.佐古駅から隣の徳島線蔵本駅まで歩きながら,撮影地を探しました.というのは,実は8620型(通称ハチロク)の牽引する一部の列車が,牟岐線から徳島駅を越えて蔵本駅まで乗り入れているので,それを撮影するためです.

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▲牟岐線から徳島線に乗り入れている522列車.78647.徳島線佐古-蔵本間.

蔵本駅では,折り返しの徳島駅方面に出発する78647号機の牽引する426列車を撮影しました.ほんの一部区間ですが,徳島線をハチロクが走っていたことになりますね.

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▲522列車の折り返しの426列車,78647.徳島線蔵本駅.

このあと,この列車に乗って徳島へ戻りました.こういう古い形式の蒸気機関車が引く列車に乗るのも,なかなかいいものです.次のねらいは徳島線を走る428列車です.これはC58が引いています.これを2度撮影するために,貞光まで401D急行よしの川1号と439D列車を乗り継いで,貞光駅に10:16に着きました.ここで,428列車を撮影し,10:40発の急行よしの川2号でこれを追い越し,穴吹駅でもう一度撮影しようという計画です.したがって,貞光駅ではわずか24分間しか時間がありません.でも結局これは無理な計画で,貞光駅ではいい撮影位置を見つけることができず,あれあれと思っている間に428列車は貞光駅を発車,結局線路のそばから通過していくC58 12を撮っただけでした.

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▲貞光駅を発車し徳島方面へ向かう428列車.C58 12.

今思うと,なぜよしの川1号で一気に貞光まで行かなかったのか不思議ですね.昔の自分の考えていることはよく分かりません.さて,穴吹駅でも時間が少なかったし,この428列車に乗ることもあったので,駅でC58 12を撮影しました.そして,これに乗ってもう一度徳島駅に戻りました.当時は,撮影だけでなく,蒸気列車に乗ることも楽しみだったのですね.

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▲428列車,C58 12.穴吹駅にて.

428列車で徳島へ戻ってから少し時間があったので,徳島の操車場をのぞいてみました.そこでは,ハチロクが入れ換え作業をやっていました.他にC58もいました.このハチロクの入れ換え作業もなかなかおもしろかったのですが,時間がなかったので後日来ることを心に決めて,505D急行阿波5号で板野駅まで貨物列車を見に行くことにしました.

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▲左上:徳島線の428列車.牽引するC58 12.左下・右:入れ換え作業をする78680,徳島操車場.

板野駅では,貨物386列車と387列車が行き違います.先に入った387列車はC58 121が牽引するもので,駅で写真を撮ってから,駅から少し離れて撮影ポイントを探し,386列車の出発を撮ることにしました.

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▲板野駅に入線する386列車.C58 110.

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▲板野駅に止まる387列車,C58 121.

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▲板野駅を出発する386列車.C58 110.腕木信号が懐かしい.

板野駅の貨物2列車を見送ると,今度はまた507D急行むろと4号で徳島駅に引き返します.昨日地蔵橋駅で撮ったハチロクの引く521列車を見送るためです.私がこの列車の発車音を録音しようとテープレコーダーを構えていると,機関士さんが声をかけてくれて,指差喚呼の声を録音させてくれました.今でも不思議とはっきり覚えているのですが,

「通票二軒屋サンカク,はい,サンカクよーし」

という声です.サンカク(△)というのは,タブレット(通行票)に付いている信号の形です.通行票は単線区間では普通に使われているものでした.この場合徳島駅と次の二軒屋駅の間は単線ですから,間違って両駅から同時に列車がこの区間に進入しないように,徳島駅と二軒屋駅の間の通行票の形を△と決め,この△の通行票を持った列車だけが,この間を通行できるというふうに決めておくのです.そうすると△通行票は1つしかありませんから,この単線区間を走る列車も1列車だけということになります.(注:二軒屋駅ではなく地蔵橋駅までがこの通行票の閉塞区間だったかもしれません).

この録音したテープはあるのですが,オープンリ-ルの再生機がないので,お聞かせすることができません.

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▲指差喚呼を録音させてくれた521列車,78647.徳島駅.

今日は一日よく走り回りました.でも写真は駅で止まっているものばかりになりました.また夏の暑さの中,昨日からずっと続けて外に出ていることもあり,結構疲れました.やはり,動きすぎはよくない,ましな写真を撮るには一ヶ所でゆっくりとするのがいいと感じた次第です.帰りながらすれ違うC58を撮影しながら,明日は休んで体力回復,そして明後日は大坂峠へ行こうと思いました.

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▲帰りながらすれ違った列車.左:322レ,C58 155,右上:C58 351,右下:382レ,C58 295.

四国のSLを追って (1) 牟岐線地蔵橋駅/1969年7月25日 [四国各線]

四国は,全国に先駆けていち早く無煙化がなされた地域です.記録によると,1970年の4月にはすべてのSLの運行が終了し,ディーゼル化されました.私が趣味で鉄道の写真を撮り始めたのがその1,2年前で,SLに興味を持ったのがまさに無煙化の直前,1968年から1969年ころでした.

その当時の鉄道趣味の雑誌には,四国のSLが取り上げられることがほとんどなく,「無煙化が全国で最も早く実現されるだろう」とかいったニュースが流れるだけでした.SLファンたちでも四国のSLに注目した人は少なかったようです.現在ネットを検索しても,四国のSLの記録は,他の線区に比較して著しく少ないように感じます.走っているSLが,無煙化直前では,C58,C11,8620,C12(内子線)くらいのもので,種類もあまりパッとしなかったせいかもしれません.それとも,高校1年生の時に無煙化を迎えた世代でも現在55歳のはずですから,自由に撮影に行ける年齢になる前に四国からSLがいなくなってしまったということかもしれません.

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▲当時四国で見られた主なSL.小松島機関区にて.
  上:68692,下左:C58 332,333,下右:C11 31.1996.7.28.

私は,田舎が四国にあったため,そこを拠点にして撮影旅行ができるというメリットがあったので,1969年,完全無煙化前の最後の夏に四国へ撮影旅行に出かけました.当時予讃本線,土讃本線,予土線はすでに無煙化達成,高徳線,徳島線,小松島線が,私の行った1969年10月で無煙化予定,その他の線区もすべて翌1970年春に無煙化予定と,まさにぎりぎりの旅でした.したがって,私の旅も四国の東部に限られたものになりました.

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▲この旅行で購入した四国均一周遊券.
  大阪市内へ入る前に途中下車すると,このように切符を手に入れることができる.

◆7月25日
自宅を早朝に出て,駅で均一周遊券を買いました.四国均一周遊券は,この当時10日間で4,600円.急行に乗れるので,当時急行しか走っていなかった四国では,指定席以外乗り放題でした.普通列車を岡山,宇野へと乗り継ぎました.そう,このころは大阪発の岡山行き普通列車というのがありました.宇高連絡船「土佐丸」に乗って12:45に高松に到着.その足で一気に徳島から牟岐線地蔵橋まで行きました.途中,讃岐白鳥と板野で,C58に出会いました.この2つの貨物列車は,後ほど大坂峠で何度も出会うことになります.

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▲貨物384列車,駅員がタブレット(通行票)を受け取っている.C58 121,讃岐白鳥駅,1969.7.25.

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▲貨物386列車,C58 351,板野駅,1969.7.25. 私の乗っている列車は347D列車.キハユニ1512型.

ところで,地蔵橋駅へ急いだのは,8620型の引く521列車とC11の引く425列車が,ここで行き違うからです.これは,動画で見ていただけます.叔父から借りた8mm(フジカシングル8)で撮ったものでが,当時は若かったですねぇ,単一電池6本で動く重たいオープンリールのテープレコーダーまで所持し,音まで入れてあります.四国のSLの記録としては結構珍しいものではないかなぁ.


▲最初に入ってくるのが521列車,78647.
  後から入ってくるのが425列車,C11 31.1969.7.25.

この行き違いの列車ですが,列車番号がどちらも奇数(下りを意味する)なので,記録の間違いかと思いましたが,そうではないようです.動画のC11の引く普通列車は徳島行きなのですが,同じC11の引くこれと逆向きに進む列車は番号が偶数になっています.このC11の引く列車は小松島-徳島間を走っていたのだったと思います.他のディーゼル列車でも,徳島から小松島へ行くのは偶数,徳島に戻るのは奇数の列車番号が当てられています.つまり徳島から小松島へ行くのが上りなのですね.でも徳島から牟岐へ行くのは下り列車でから,地蔵橋では下り列車どうしがすれ違うというおもしろいことになるのです.

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▲牟岐行きの「下り」521列車,8620型蒸気機関車,78647.1969.7.25.

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▲徳島行きの「下り」425列車,C11 31.1969.7.25.

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▲425列車を引くC11 31.地蔵橋駅.1969.7.25.

p0096.jpgこの日はこのまま鳴門のユースホステルに泊まりました.明日は徳島線へC58を見に行きます.

◆左:鳴門ユースホステルの記念印.
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