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呉線(2) -日本半周撮り鉄の旅/1970年3月21日 [呉線]

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▲広駅で出発を待つC62 17,C62 23.これらとはこのあとで出会うことになる.

広駅で音戸2号を見送ったあと,SLの引く921列車で,小屋浦へ移動しました.この921列車も撮影したかったのですが,これしか移動手段がないという「贅沢な」移動です.小屋浦は,呉線では有名な撮影地です.600番台の旅客列車や急行安芸などは,広駅より東の方も走っていますが,朝夕にたくさんSL列車が走る広-海田市間では,海辺を走る小屋浦が撮影しやすい場所でした.広6:13発,小屋浦到着6:51でした.

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▲小屋浦まで乗ってきた921列車を引くD51 5・・.小屋浦駅.

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▲小屋浦の集落を出る.D51牽引の923列車.

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▲923列車,D51.小屋浦.向かい側の島は江田島.

まずは921列車のすぐあとに来る923列車を捉えるのですが,その間わずか10分程度.上の写真の撮影位置から見て,撮影ポイントまでかなり急いだはずです.実はあまり覚えていないのです......まあ,921列車が行ってから,923レ,925レ,927レと1時間足らずの間に次々と列車が通りすぎていくので,もう大忙しだったと思います(人ごとみたいに言ってますね).

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▲925列車,C62 17.小屋浦.

朝の下り列車は,正面から撮ると,東から昇る太陽を背にしてすべて逆光になります.でも,白い蒸気が光り輝くので,うまく露出をコントロールできると,それなりにきれいな写真になります.上の写真は結構気に入っている写真の一つです.

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▲925列車,C62 17.小屋浦.カラーで同時に撮影した.

さて,次々に来る列車を撮るためには,感動に浸っている時間はありません.次は927列車です.同じ位置で撮影してもつまらないですから,すぐにまた移動します.

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▲927列車,C62 23.小屋浦-坂.

上の写真を見ていると,C62のボイラーはとても太く大きいことがよく分かります.これ以上太くできないという限界まで大きくして,馬力を出そうとしているんでしょうね.この撮影場所は線路に近すぎて,もう一ついい場所ではありませんでした.まあ,次の列車まで10分少々の連続ですから,そう簡単にいい場所ばかりには当たりませんね.

広発広島行きの集団が通り過ぎたら,糸崎からの621列車の番です.今度はC59が引いていました.先ほどの場所よりは少し線路から離れていて,ゆとりを持って撮影できました.横の道路を走っているオート三輪が時代を感じさせます.すぐ横を通り過ぎるC59 164は迫力がありました.

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▲621列車,C59 164.小屋浦-坂.

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▲621列車,C59 164.小屋浦-坂.

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▲621列車,C59 164.小屋浦-坂.

これでやっと朝のSLラッシュアワーが終わり,次の上り624列車まで小一時間休憩できます.今度は上り列車なので,順光になります.朝の上りSLは数が少ないので,ゆっくり場所を選んで撮影しました.

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▲624列車.C62 16.坂-小屋浦.海の向こうの島は金輪島.

同じ場所で,標準レンズを使ってカラー撮影もしました.海に突き出た半島のようなところは観音崎です.Googleの航空写真を見ると,今はこの手前の海が埋め立てられ,この景色はもう撮影できないようです.

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▲624列車.C62 16.坂-小屋浦.半島は観音崎.

呉線にはC62の15号機,16号機,17号機と連番がいるのですね.朝のうちにこれら全部に会ったことになります.こんなどうでもいいことですが,鉄道ファンには,妙にこだわってしまう何かがあるのですね.さて,次は10時過ぎに通過する貨物676列車です.これはネガがないと思っていたらカラーだけで撮影していました.

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▲676列車,D51 755.坂-小屋浦.背景の島は金輪島.この列車にはまた後で出会うことになる.

かなり坂駅の方にまで移動してきたので,次の列車まで1時間近くあることもあり,ここらでUターンして小屋浦の方に戻ります.途中640D列車を試しに海側から撮影しました.今考えるとこの位置で上りの安芸を撮ればよかったと後悔しています.

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▲640D列車.坂-小屋浦.

列車番号の記録が怪しいモノクロのネガに残っていた貨物列車(下の写真)は,道路を左に見て走っていますので676列車の次の671列車だと思います.D51の引く貨物列車になると緊張がゆるむのか,記録もいい加減になっています(笑).

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▲671列車,D51.小屋浦-坂.

さて,いよいよ急行安芸の番になりました.どの場所でねらうか,考えすぎて結局変なところで撮ってしまうのです.今回も電化前の電柱や電線のいっぱいある,小屋浦を出てすぐのところで撮ってしまいました.ただ,D51を2両目に引き連れた重連構成になっていたのがラッキーといえばラッキーでした.

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▲37列車,急行安芸.C62 37+D51.小屋浦-坂.

さて,下りの安芸を撮影したら,次は上りの安芸になります.もう時刻はお昼過ぎ.あっという間に時間は経ってしまいました.ここで,場所を移動することにしました.この前の年の四国旅行のついでに寄った時に行った,安芸川尻-安登間です.小屋浦を12時過ぎに出る642Dで安芸川尻まで移動しました.

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▲641D.安登-安芸川尻.

安芸川尻から安登にかけては地理勘があったので,途中ディーゼルカーの641Dなどを眺めながら,迷わず上りの安芸が勾配に差しかかるところへ行きました.安芸が来るまではかなり時間があり,その前に,626レ,676レ,673レなどがここを通ります.

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▲626列車.D51 7・・.安芸川尻-安登.

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▲676列車.D51 755.安芸川尻-安登.小屋浦で見た貨物列車.移動で追い越した.

安芸が通る前には荷物42列車が通ります.モノクロの方は,少し曇ってきたせいでやはりネオパンFの低感度がたたり,シャッター速度が稼げなく,流れた写真になってしまいました.

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▲荷物42列車.C62 23.安芸川尻-安登.

続いて上りの安芸がやってきました.まったく去年と同じアングルの写真です.一つ違うのは,電化が間近ということで,電柱や架線がもうほとんど完成していることです.

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▲38列車,急行安芸.C62 37.安芸川尻-安登.

安芸を撮り終わったので,今日はこれでおしまいにすることにしました.今日は,効率よく,出会うすべてのSL列車をカメラに収めることができました.ダイヤで見ると分かりますが,撮り漏らしはほとんどありません(単機回送が一部撮れていません).

さて,安芸川尻16:30発の645D列車で,広島へ行き,広島ユースホステルに宿泊しました.明日はもう一度呉線を訪れ,糸崎機関区を少し見て,一気に北上します.

日本半周「撮り鉄」の旅/1970年3月21日-31日 [呉線]

私にとっての最大の「撮り鉄」旅行,日本列島を約半周してのSL撮影旅行に出かけていきました.はじめは北の方面だけにしようと考えていたのですが,呉線がこの年の秋には完全電化されると聞いては,もう居ても立ってもいられません.北へ行く前に,方向は全く逆ですが,呉線に立ち寄って,大型SLの最後の勇姿をカメラに収めておこうと考えました.これからの何回かのシリーズは,この広島県から北海道に至る,各地の(といってもほとんどが移動で,立ち寄ったところは多くはありませんが)SLを紹介していきたいと思います.

◆◆◆ ネオパンFの功罪

本題に入る前に,ちょっと脇道にそれます.

この旅行では,一部を除いて,フィルムにネオパンFを使いました.これはASA(ISO)32という,低感度のフィルムです.通常のネオパンSSはASA100ですから,かなり低感度ですね.でも,非常に微粒子で,ネオパンSSで撮った写真をスタンダードTVとしますと,ネオパンFで撮った写真はハイビジョンTV画面を見ているような感じになるほど,精細に写ります.

ちょうどこの旅行に行く時期に,このフィルムに魅せられていました.鉄道写真は動く被写体ですから,本当は感度の高いフィルムでシャッター速度を上げた方が有利なのです.でも,この精細な画面に惚れてしまって,これを持っていきました.幸い,北の地方はこの時期まだ雪が残っていて,結構外は明るく,シャッター速度の低下にはあまり悩まされませんでした.

しかしながら,です.このネオパンFというフィルムは,非常にコントラストが強く,硬調に仕上がります.そのフィルムで,真っ白な雪の中を走る真っ黒なSLを撮影したものですから,プリント仕上げがほとんどうまくいきませんでした.軟調の印画紙を使っても,雪景色の階調を出そうとするとSLが真っ黒になり,SLの階調を出そうとすると雪景色が白く飛んでしまいます.

結局,旅行が終わって,自宅で十数枚を焼き付けて,がっかりしてしまいました.あのときの落胆は,今でも忘れません.ネガにはくっきりとした階調が写し出されているのに,ポジにするとそれが表現できないのです.結局,多くの写真が印画紙に焼き付けられることなく,今日まで眠っていました.

ところが,写真がデジタル処理できる今日,この悩みは大きく改善されました.この硬調のネガが,デジタル化して画像ソフトで処理することによって,景色もSLも,白飛びも黒つぶれも派手に起こさず表現できるようになりました.こうなってくるとネオパンFの微粒子性の威力が発揮されます.

今回紹介する写真は,かなり細部までくっきりとしたものが多いと感じられると思います.このブログで紹介する今このとき,ネオパンFで撮っていて良かったと初めて思いました.腕は下手ですので写真そのものはたいしたものはありませんが,その微粒子による細部のディティール感をぜひ味わってみてください.

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▲雪景色の中のC12 69.コントラストの強いネガと,デジタル処理による軟調仕上げ.ネオパンF.

◆◆◆ 旅行の切符

さて,話を本題に戻しましょう.

この長期旅行は,呉線の往復は普通の切符で,北の方へは道南均一周遊券を使いました.この時代,3月末までの冬季の道南周遊券は,学割を使うと,たしか7500円程度で買えたと思います.行き帰りは日本海側の路線でも太平洋側の路線でもよく,途中下車も自由です.つまり,道南均一周遊券を使うと,大阪から北陸線・羽越線を通って北海道に渡り,北海道から奥羽本線・東北本線を通って東京経由で大阪に戻れます.つまり旅費はこれだけで,通り道のSLを撮影できることになります.

あと宿泊はユースホステルと車中泊を利用すれば,お年玉を貯めておけば十分に旅行資金が貯まるという,ある意味よき時代であったように思います.

◆◆◆ いざ呉線へ

呉線へは,303列車急行音戸2号を使いました.これは夜行で,三宮0:14発です.呉線ではC62の引く急行安芸が有名でしたが,同じくこの呉線経由の音戸もC62が引いていました.でも早朝に呉線を通り広島に着くので,あまり多くは撮影はされていないと思います.私の乗った音戸2号は,広駅へ5:59に着きました.さて,活動開始です.まずはダイヤグラムでじっくり検討です(といっても出発前に飽きるほど見ているのですがね).このダイヤの6時台に303列車が出ています.

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▲呉線の当時のダイヤグラムを復元した.横に長いので2分割した.
  急行音戸2号 303レ/C62,C59.急行安芸 37レ,38レ/C62,C59.
  広-広島間旅客 921レ,922レ,923レ,924レ,925レ,926レ,927レ,929レ
    /C62,C59,D51.
  糸崎-広島間旅客 621レ,622レ,623レ,624レ,626レ/C62,C59.
  荷物列車 42レ,1043レ/C62,C59.
  貨物列車 671レ,673レ,674レ,675レ,676レ/D51.


これを見て分かるように,朝方,広駅から広島へ向かうSL列車が連続しています.これを撮影するには,音戸2号がぴったりだということがお分かりでしょう.広駅に降り立って早速行動開始です.まずは自らの列車を引いてきたC62 15の記念撮影をしました.

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▲303レ,急行音戸2号.広駅にて.1970.3.21.

<次回に続く>

旅行のついでに見たSL/1967年から1970年 [その他の線区]

今日は特定の線区の紹介ではなく,あちこちに旅行へ出かけたときに見かけて撮影した,各地のSLを紹介します.あまりたくさんありませんが,小さな発見があるかもしれません.

◆◆◆ 東海道本線

まずは東海道本線を電車で旅したとき,車窓から見たSLたちです.東海道本線は,東京や静岡まで,何回か乗りました.

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▲沼津駅のC50,日付不明.

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▲掛川駅のC58 219.日付不詳.

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▲大垣駅のC11 155.1970.5.8.

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▲京都駅のC57.懐かしい国鉄コンテナの向こう側に止まっている.おそらく山陰線の列車.1970.5.8.

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▲尼崎駅のD51 144.福知山線の貨物列車.

以上は,乗っている列車や,たまたま立ち寄った駅で撮影したものばかりですが,次のはちょっと異色です.三宮駅を通過するC57ですが,煙だけが写っています.六甲山地のとある山から撮ったものです.神戸の三宮付近の町並みが,震災前でもあり,新聞会館の山一証券の富士山の絵など,古い面影が残っています.

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▲C57 6.三宮駅.日付不詳.機番は報道で知ったように記憶している.

◆◆◆ 山陰本線

次は山陰本線です.鳥取へ2度ほど旅をしたときの写真です.いずれも1969年の冬から春にかけて出かけました.

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▲D51 758.鳥取駅.1969.1.3.

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▲D51 758.浜坂駅.1969.1.3. 鳥取駅から私の乗った列車を後押ししている.

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▲D51.鳥取-浜坂のどこか.1969.1.3. 春に旅行したときも偶然同じ場所で撮影している.

冬の山陰は雪に覆われ雪国の情緒があります.列車の音も,雪に吸収され,反射しなくてこもっています.でも春になるとずいぶん違った感じです.下の写真は当ブログでも紹介した,餘部鉄橋へ行った次の日です.

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▲鳥取機関区.C57,C11,D51などが見られる.手前のC57 97は播但線でも撮影している.1969.3.26.

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▲C11 101.鳥取駅.1969.3.26.

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▲D51 254.冬に撮ったのと同じ場所である.1969.3.26.

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▲D51 1018.場所不明.1969.3.26.

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▲D51 458.佐津駅.1969.3.26.

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▲D51 831.鎧駅.1969.3.26.

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▲D51 944.城崎駅.1969.3.26.

このように,1本の列車に乗っていると,次々と蒸気機関車の引く列車とすれ違います.この当時山陰本線の主力はまだまだSLだったのですね(ちょっと言い過ぎかな).最後は,遠足で京都へ行ったときに撮ったのだったっと思いますが,嵯峨野を走るC57です.

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▲923列車.C57 190.嵯峨-保津峡間.1970.10.27.

◆◆◆ 長崎本線

最後は,長崎駅です.何で行ったのかもう忘れてしまいましたが,門鉄デフのC57がきれいだったことを覚えています.

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▲C57 154.1969.11.12 or 13.長崎駅.

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▲長崎駅を発車する,D51牽引の列車.1969.11.12 or 13.長崎駅.

以上,今日は主に鉄道目的ではない旅行で出会ったSLを紹介しました.次回からは,私にとっての最大の「鉄道と旅」になった,東北-北海道のSLたちを紹介します.

吹田の操車場と機関区/1968年10月27日,他 [東海道本線]

私がそもそもSLに興味を持ったのは,吹田の操車場でのSLの姿を見たときではなかったかと思います.それまでは,普通の電車や電気機関車を追いかけていたのですが,友人にSL好きがいて,その友人とともに,吹田第一機関区を「公式」に見学したのが転機になったように思います.今日はそのときの記録を紹介します.

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▲吹田第一機関区の機関庫.D51が後を見せて休んでいる.

そのころ,東海道線の吹田~千里丘駅を訪れると,向かいに広がる操車場で,たくさんのSLが入れ換え作業をやっていました.9600型,D51,D52,時にC58が混じることもあったかと思います.私がまだSLに興味がなかった頃,吹田駅で撮ったSL写真が下のものです.

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▲19684.吹田操車場.1967.10.10.
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▲D51 52.下の51号機と同じく,砂箱や蒸気ドームが長く一体になったタイプ.1967.10.10.
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▲D52 142.吹田操車場.1967.10.10.
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▲D51.吹田操車場,千里丘駅.駅で写真を撮っている人がいる.1967.10.10.
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▲D51 51.吹田操車場.貨物の入れ換えをしている.1968.10.27.

さて,当日午後に吹田第一機関区を訪問しました.かなり自由に見学させてくれたように思います.最初は機関庫の横に止まっているC11 360を見ました.この運転台に載せてもいました.SL運転台からの景色を初めて体験しました.

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▲C11 360.完全に火が落とされている.
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▲C11 360の運転台から見た景色.かなり視界は悪いような気がする.

機関庫の前にある転車台は,機関車が来るたびに大きな音を立てて転回します.D52がやってきました.D51よりひとまわり大きく,私は吹田で始めてみたのではなかったかと思います.写真のD52 142は,前年の1967年10月10日に吹田に来たときにもヤードで走っていたのを見ていますから,結構以前からいたのかもしれません.

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▲D52 142.転車台に乗るD52.D52にはまだデフレクタが付いている.
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▲D52とD51が正面を向き合って連結されようとしている.

操車場のSLたちの多くはデフレクタが取り外されています.入れ換え作業には邪魔になるからかもしれません.上のD52はそれがはずされていませんので,ちょっと違った使われ方がされていたのかもしれません.

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▲D51 116.デフレクタを取り外された,入れ換え専用機.
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▲D51 319.これもデフレクタがない.

操車場は,働き場を失ったSLたちの最後の活躍の場です.全国各地から,最後のご奉公をするために集められてきたのでしょう.門鉄デフをつけた,おそらく九州から来たものなども混じっています.

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▲D52 28とD51 499.D51は九州から来たのだろうか.門鉄デフが付いている.1968.9.23.
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▲D51 51.型番と機番が同じ.1968.9.23.
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▲砂箱がかまぼこ形になっている1000番台のD51.吹田操車場.D51 1014.

さて,機関庫見学はこれくらいにして,次は少しヤードの方に出てみることにしました.といっても入れ換え作業をしているところへは入れません.その横の機関車が単独で走っているような所です.ここではD51が水や石炭の補給をしていたり,D52が蒸気を勢いよく吐いて,走る調子を見ているような動きをしていました.

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▲D51 754.給水している(た)のだろうか.
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▲勢いよく蒸気を吐いて試走するD52 142.
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▲D51 863.デフレクタが取り外され,係員が添乗するときにつかむ手すりが取り付けられている.1968.9.23.

さて,SLを見に来たのではありますが,まだまだこのころは電機も好きで,当時最新型だったEF66がいたので,運転台に乗せてもらいました.

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▲EF66 9.
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▲EF66 9の運転席.

隣には対照的にEF14が止まっていました.前後にデッキのある電気機関車で,この当時はEF15が普通に東海道本線を走っていました.EF14はここで始めて見ました.

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▲EF14 1.

2時間ほどの滞在ではなかったかと思います.午後の遅い時刻に訪れたので,帰るころには日が少し西に傾いていました.日が傾く空に影を浮かび上がらせるSLたちを後にして,見学会を終わりました.このときからSLというものに少し興味を持ちだし,翌年,四国への遠征旅行の動機づけになったような気がします.

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▲SLに名残を惜しみながら,吹田第一機関区を後にした.

伯備線のSL (3) 新見機関区/1970年2月11日 [伯備線]

この旅行の最後に,新見機関区を訪れました.

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▲機関庫に憩うD51,C58たち.

転車台のまわりに円形に配置された機関庫.こういった造りは,もう記念的の残されている場所でしか見ることはできません.ここには,門鉄デフをつけた,C58 175がいました.門鉄デフに雪かきという出で立ちはなかなかおもしろい組み合わせです.

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▲門鉄デフをつけたC58 175.

遠くで安全マークを付けたもう一台の門鉄デフ型のC58が,入れ換え作業をやっていました.

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▲もう一台の門鉄デフをつけたC58.

操車場の横の本線を,旅客924列車と,貨物列車が通り過ぎていきました.

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▲新見駅を出る924列車.C58 174.
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▲貨物列車.列車番号不明.C58 179.新見操車場.

その他,D51たちが休憩している姿がありました.

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▲D51 488.
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▲D51 236.

岡山駅で夜を明かし,一日中走り回って撮影したので,とても疲れました.つくづく,SL写真を撮影するのは体力が勝負だと感じました.せっかく現場に立っているのに,もうどうでもいいわ,という感じになるときがありますね.これで伯備線の旅は終わりました.次は近郊のSLたちを見に行くことを予定しています.

伯備線のSL (2) 新見駅付近/1970年2月11日 [伯備線]

布原-備中神代間を後にし,川面峠を越えて,ふたたび新見の方に戻ってきました.ますは新見駅を発車する6461列車です.新見駅を出てすぐの所で,記憶から消えてしまっていますが,線路近くの建物に上がって撮ったのだと思います(どう見てもこの位置で撮れるような地形がありません).

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▲新見駅を出る6461列車.D51 220.新見-布原.新見市猿木.
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▲上2枚:布原の方へ向かっていく6461列車.D51 220.新見-布原.遠景は新見市土井.

6461列車を見送った後,次にやってくるのは布原からの882列車で,C58が前後についた貨物列車です.新見側では下り坂になるので,煙もなく,滑るように走ってきました.

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▲882列車.C58+C58.布原-新見.新見市西方.

続いて,旅客822列車が,やはり布原からトンネルを抜けて坂を下ってきました.

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▲822列車,C58.布原-新見.新見市西方.

今度は923列車で,新見駅ずっとから登ってきますので,頑張る姿が撮れそうです.4両編成の旅客は,SL単機で牽引してます.

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▲923列車.D51 642.新見-布原.新見市西方.

連写はどんどんやってきます.今度は,上り494貨物列車で,D51の前補機重連です.前補機が一番絵になるのですが,新見側では下り坂.迫力はないけれど,煙で2番機が隠れる心配はありません.

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▲494列車 D51 386+D51 504.布原-新見.新見市西方.

今日の撮影では,このD51 386に何回も出会っています.三重連の先頭そして469列車の後につながっていたD51で,前や後につながって,難所の備中神代と新見の間を行ったり来たりしています.補機専門に運用になっているということでしょうね.さて次は,布原の方へ行くC58 323の引く旅客列車です.

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▲827列車,C58 323.新見-布原.新見市谷.遠くに茅葺き屋根の農家が見える.

これらの写真の風景は40年前の物ですから,今はどうなっているのか見当もつきません.また一度訪れて,風景の変化を見てみたい気がします.こういう体験は歳を取った者にしかできない特権ですね.さて,一日中楽しみましたが,この旅行の最後に新見機関区へ行く予定にしているので,次の452列車を最後に,本線を走る列車の撮影を終えることにしました.

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▲452列車,D51 651.坂道をすーっと下ってくる.布原-新見.新見市谷.

<次回へ続く>

伯備線のSL (1) 布原信号場/1970年2月11日 [伯備線]

この時代,各地に有名なSL撮影スポットがありましたが,伯備線の布原信号場もその一つでした.ここには,D51が三重連で走る定期列車があったからです.私もその当時の多くのSLファンの例に漏れず,ここを訪れました.

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▲492列車,D51三重連.D51 386+D51+D51.布原-新見間.

D51三重連は確かに魅力ですが,ここは山岳地帯で,それ以外にも多くの列車が補機を付けて走っています.また列車の本数が多く,本当に次々とSL列車が通過します.1日付近を歩けば,十分SLの世界を堪能できる所です.

さて,岡山から中国山地にかなり入った所にある布原にSLを効率よく見に行くためには,どうしても岡山で始発列車に乗る必要があります.暗くなってから家を出て,岡山に着く最終列車に乗ります.そして岡山駅で始発を待ちます.当時は駅が閉まることはありませんでした.ブルートレインが丑三つ時に岡山に着いていたからでしょうか.到着した岡山駅では,C11 79の引く貨物列車が停車していました.

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▲岡山駅に停車する貨物列車.C11 79.

布原は,新見の隣の駅です.岡山から行くと,姫路からの姫新線と合流したところが新見駅になりますが,布原はその新見の次の駅です.新見-布原-備中神代,と続きます.備中神代では広島からの芸備線が伯備線に合流します.ですからこの備中神代-新見間は,米子からの伯備線,広島からの芸備線,そして姫新線から伯備線に入るSL列車が次々と通る,SL銀座のようなところなのです.新見-備中神代間は,川面峠(こうもだわ)という峠(もっともここは伯備線はトンネルで抜けています)と阿哲峡と呼ばれる峡谷がある難所で,そのために列車の前後に補機がつき,重連,三重連の列車が数多く走ることになります.今日は,このあたりを歩きながらSLを撮影します.

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▲823列車,C58 -2?.機番が読めない.新見-布原間.

朝早く新見駅に到着し,そこで降りて,布原の方に歩き始めました.遠くにC58の引く旅客列車の汽笛が聞こえました.雪がうっすら残っている山間の田園地帯は,どこをとっても撮影適地という感じです.続いて逆向きのC58重連の貨物列車がやってきました.

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▲473列車,C58+C58.新見-布原間.

三重連の列車は結構早い時間に走るので,先を急ぎました.そして有名な三重連の撮影ポイントに来ました.数え切れないほどの多くの鉄道ファンが同じ場所で撮影したことでしょう.今ネットで検索しても,ここで撮った写真がいっぱい見つかります.三重連の前に,D51重連の2492列車が走ります.三重連の露払いですね.三重連の撮影練習にはもってこいです.

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▲2492列車.D51 376+D51.布原-新見間.一番上は布原信号場をまさに発車する2492レ.
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▲重連が真横を通り過ぎる迫力.

その後,程なくして,492列車が布原信号場に入り,発車のホイッスルが響き,遠くから三重連が走ってきました.勢いよく煙と蒸気を吐きながら走ってきます.とてもいい感じなのですが,いかんせん,予想撮影ポイントでは,蒸気のために機関車が隠れてしまい,三重連か何か分からなくなってしまいました.こういう失敗は良くあるのですね.播但線でもそうでした.三重連は,煙や蒸気がふくらむので3台目の機関車を入れるのが難しのです.でも三重連を撮る機会は,播但線生野峠のC58三重連のあとはもうありませんでした.

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▲布原信号場を出るところの492列車.2492レ重連に比べると吐く煙の量が少ない.
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▲492列車.D51 386.蒸気に隠れて分かりませんが,これはD51三重連.

来て早々目的の列車は通り過ぎましたので,あとはのんびりと通過する列車を撮影するだけになります.鉄道ファンたちも散らばって,思い思いの位置に移動し始めています.私も備中神代の方に向かって歩き始めました.布原信号場で停車する922列車を引くD51 749を,機関士さんを入れてアップで撮影しました.

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▲922列車.布原信号場に停車.D51 749.

布原信号場を通り過ぎてから,布原に入る921列車を遠くから撮影しました.ちょうど三重連撮影ポイントの反対側になります.

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▲921列車,C58.布原.後方遠くに見える鉄橋が三重連の撮影ポイントである.
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▲同じ921列車.C58.布原信号場を出て備中神代へ向かう.

少し歩き,多分布原から下り方面3つ目の鉄橋だと思います,そこで続いて後補機のついた,469列車を待ちました.この列車はD51が前と後に付いていますが,後のD51は386号機で,逆向きになって付いています.この後補機は,先の492列車,D51三重連の先頭車両D51 386そのものですね.多分新見で切り離されて,この469列車の最後部に接続されて,戻ってきたのです.

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▲469列車.先頭車両D51 746.布原-備中神代間.布原から下り3番目の橋.
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▲469列車.上:先頭車両D51 746,下:後補機D51 386.布原-備中神代間.

このあたりが阿哲峡の峡谷なのですが,急斜面に川があって,なかなか撮影には難しい場所です.そこで,布原から下り方面一つ目の鉄橋まで戻りました.この場所は遠くに布原を発車する列車が望め,通り過ぎてからもう一度撮影できるという,布原のもう一つのポイントで,ネット上で同じような写真が見られるところです.下の2枚目と3枚目の写真を間に,位置替えのため猛ダッシュしたことは間違いありません.

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▲891列車.遠く布原を発車して,後補機をつけてやってくる.C58 186+C58 179.
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▲891列車.今橋を通過するところ.
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▲891列車.橋を通過して大きく右カーブに差しかかる.後補機が逆に煙を流しながら走る.

朝から晴れていて天気が良かったためか,雪がどんどん溶けはじめて,いつのまにか地肌が見えるようになっていました.同じ場所とは思えないほどの風景に変わっていきます.そこで,布原-備中神代間はこれくらいにし,新見の方へ戻ることにしました.

<次回へ続く>

四国のSLを追って (7) 大坂峠にもう一度/1969年8月2日 [四国各線]

大坂峠の讃岐相生側へ一度出かけてみたい気持ちがあったので,8月2日に実行しました.均一周遊券の期限もあとこの日を入れて2日間.明日は帰らなくてはいけないので,今日が最後のチャンスです.しかし運命は皮肉なもので朝から曇り空.写真を撮るにはちょっと残念な天気です.特に8mmはまだ性能が高くなく,曇っているとぼやけた感じになってしまいます.

さて例によって高松朝4:37発の531D列車で讃岐相生まで直行,讃岐相生駅到着が5:41でした.ここで,朝の何本かの列車を待ちます.讃岐相生側はやってくるのが初めてなので,ロケハンしながら歩きました.撮影場所が決まらないまま,上りSL牽引始発列車の322列車に出会いました.これは坂を下る側のSL列車です.

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▲322列車,C58 104.阿波大宮-讃岐相生間.

大坂峠の板野側に比べてこちらの讃岐相生側は,遠望がきく地形なので,何とか遠くのSL列車を撮りたくて場所を探しました.しかしやはりそう簡単に見つかるわけはありません.木が邪魔だったのですが,なんとか妥協できる位置に座って,次の列車を待ちました.下り列車が坂を登ってくるので,まず最初の旅客321列車です.

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▲旅客321列車.C58 295.讃岐相生-阿波大宮間.

これは写真におさめました.次の下りは,貨物383列車.これは8mmに専念することにしました.この日太陽が強く照って晴れていれば,もっと鮮明な映像が撮れたのに残念です.


▲貨物383列車.C58 88.讃岐相生-阿波大宮間.

次は上り貨物382列車.これは坂を下ってくるので迫力は望めません.

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▲貨物382列車,C58 367.阿波大宮-讃岐相生間.

続いて下り貨物385列車です.こいつはいつもコンテナを引いています.当ブログにコメントをお寄せいただいた南東風さんのブログ記事を参考に書きますと,この場所では,SLに続いてすぐにコキがつながっています.

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▲貨物385列車.C58 333.讃岐相生-阿波大宮間.

さて,この次の下り列車は貨物387列車ですがこれは午後遅くになりますので,残念ですが,大坂峠はここでおしまいにしました.このあと,前回紹介しました徳島駅の78680号機の入れ換え作業を見に行きました.徳島駅では,先ほど385列車を引いていたC58 333が,上りの(多分)384列車の牽引機となって止まっていました.このC58は385レから384レへと運用されているのでしょうね.

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▲多分貨物384列車.C58 333.徳島駅.

p0139.jpg◆旅客428列車,C58 12.徳島駅.

これは徳島線の列車で,7月26日に乗ったあの列車です.またC58 12が引いていました.今ならこんなふうに駅で止まっている機関車の正面から撮影なんかすると犯罪物ですが,この当時は結構列車の直前直後を横断できていました.いやはや本当にのんびりした時代でした.


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▲徳島駅にたたずむC58 88.これも,先ほど大坂峠で出会った貨物383列車を引いていたもの.

◆◆◆ 旅の終わり

ということで,あとは前々回紹介しましたように,地蔵橋付近へ足を運び,ハチロクを撮影しました.そして均一周遊券が切れる8月3日,最後まであきらめず,高松4:37の531D列車(もうこれ通勤列車並みに利用しましたね)に乗って,地蔵橋へ行き,最後の撮影をしてから徳島9:50発502D急行むろと1号(キハ28 2490)で高松へ,宇高連絡船伊予丸で宇野へ,そして山陽線に乗り継いで帰宅しました.

最後に,本旅行とは関係ないですが,この前の年に,土讃線を旅したとき,阿波池田で撮影したC58を紹介して,四国特集を終わりにしたいと思います.

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▲列車番号不明(旅客列車).C58 143.阿波池田駅.1968.8.7.

P.S. 当ブログへお越しいただいた南東風さんが言っておられましたが,この撮影旅行は本当にぎりぎりのタイミングだったようです.実は7月28日に大坂峠で撮影しているとき,香川県の方と出会って,(その方も大坂峠へはよく来られていると言っていました)「高徳線のSLは8月でなくなる」ということを聞きました.毎日重いテレコや8mmやカメラを担いで,早朝高松駅4:37の531Dに乗ってがんばれたのは,この一言があったからだと思います.まさに初めての撮り鉄(今はこう言うのだそうですね)旅行で,若さで走り回った感じでした.でも,今思うと,他の撮り鉄旅行よりずっと充実していて良かったと思っています.

四国のSLを追って (6) 徳島駅ではたらく78680/1969年8月2日 [四国各線]

地蔵橋付近の通過列車が少ない時間帯に,昼食も兼ねて,徳島駅にやってきました.以前ちょっと見た78680の入れ換え作業を撮ろうと考えていたからです.

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▲78680号機.徳島駅操車場にて.

入れ換え作業は発車とブレーキの繰り返しで,機関車がかなり傷むんじゃないかと,どうでもいいようなことを考えながら,見ていました.この時代は,大阪の吹田操車場でもSLが入れ換え作業をしていました.第一線を退いたSLたちは,最後の活動場所を操車場に見いだして頑張っている時代でした.

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▲荷物列車を入れ換えている,78680.

どこかから徳島駅にやってきた貨物車両,おもにワム形式を,1台1台,行き先に応じてつなぎ変えていく作業は,鉄道が貨物の主役だった時代を物語っています.そして新しい編成になって,目的地へ運ばれていきます.そう考えると,貨物車両は全国を駆けめぐっていたということになるのかなぁ.

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▲貨物車両の入れ換えをする.

操車場は道路のすぐ横にあるのですが,この時代の車の古さが,SL時代にマッチしてます.

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▲操車場の外側から.
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▲二人で機関車を操縦する.
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▲ハチロクのスポーク車輪.

最後に動画を掲載しておきます.


▲78680の入れ換え作業.徳島駅操車場.

C58も入れ換え作業をやっていましたので,最後に一つ...

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▲C58 110,徳島駅操車場.

四国のSLを追って (5) 牟岐線/1969年8月1日-3日 [四国各線]

四国のSLを追いかける旅もいよいよ終盤に近くなってきました.呉線から夜行,始発を乗り継いで,三度牟岐線にやってきました.ハチロクやC11の引く列車に気持ちが惹かれ,最後の三日間とも,この地を訪れました.このページではそれらをまとめて紹介します.今日は趣向を少し変えて,ここを走る,C11,8620,C58の機種別に,写真をまとめておきましょう.

◆◆◆ C11

C11は,私が訪れているときはいずれも31番機が旅客列車を引いていました.ただ一度だけ,地蔵橋駅の前をC11 66の引く貨物列車が突然通り抜けたのを,8mmで記録したのを見つけました.

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▲424列車,地蔵橋-中田.C11 31.1969.8.1.
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▲回送列車,地蔵橋,C11 31.1969.8.2.

では,最後にC11 66の引く貨物列車です.C11が貨物を引くというのは,私はあまり見たことがありませんでした.


▲列車番号不明.C11 66.地蔵橋駅にて.1969.8.2.

◆◆◆ C58

C58も牟岐線に乗り入れていました.高徳線や徳島線の列車の回送だけでなく,行き先のメモをしていませんが,牟岐線の列車も引いていました.

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▲321列車の回送 C58 121,地蔵橋付近.1969.8.1.
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▲列車番号不明,C58 367.地蔵橋-中田.1969.8.1.
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▲列車番号不明,C58 332.二軒屋-地蔵橋.1969.8.3.(南東風さんによると422レ)

最後は地蔵橋駅前を通り過ぎるC58重連(笑)です.たぶん,1機は回送のついでにつないでいるのだと思います.でも,いちおう重連.バックの重連です.音声はありません.


▲回送324列車.C58+C58.地蔵橋駅.1969.8.2.

◆◆◆ 8620

ハチロクは,私が訪れたときは,すべての旅客列車を78647号機が引いていました.徳島駅では78680号機が入れ換え作業を,小松島機関区には,68692号機が止まっていました.見たのはこの3機だけです.私はSLの中でもスポーク車輪が好きで,四国旅行ではハチロクを意識して多く撮りました.

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▲426列車の回送,78647,地蔵橋-中田,1969.8.1.
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▲521列車の回送列車,78647,地蔵橋.1969.8.2. スポーク車輪が美しい.
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▲522列車,78647,地蔵橋-二軒屋.1969.8.3.

最後はハチロクの引く522列車の動画です.これには残念ながら音声が入っていません.これを撮影した場所を失念してしまったのですが,どなたかどの駅間か分かりませんかねぇ...(コメントをいただいた南東風さんによりますと,地蔵橋を出発するところらしいということです.ありがとうございます.)


▲522列車,78647.1969.8.2.

8月1日は午前中に,2日は夕方に,3日は午前中に,それぞれこの地を訪れました.回送列車なども多く,列車番号が不明なものも多くあります.あと,残りの時間は,大坂峠の讃岐相生側と徳島駅構内でのハチロクの入れ換え作業を見ました.これらについては,次回以降で紹介します.

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